人にとって「最も大切なもの」とは

2013年10月22日火曜日

生き方について思うこと

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人間にとって最も大切なものは何か、と聞かれたらどう答えるだろうか。

愛とか命とか、家族とか友人とか、仕事とかお金とか、人によっていろいろだろう。同じ人でも、年齢や境遇等で変わっていくかもしれない。数学の問題と違って唯一の正解などないように思える。けれどもしかしたら、絶対的な何かがあるかもしれない。

そういうことを考える上で、「時間」という概念は外せないと思う。これは一個人においては「寿命」と言い換えてもいいかもしれない。それは長短の差はあれ全員に与えられていて、等しく流れ、決して取り返すことができない。今日は何の変哲もない一日だったかもしれないが、人生においては唯一の86400秒間で、まったく同じ時間を過ごすことはできない。そう考えると、今も過ぎていく一瞬一瞬がまた違って見えるかもしれない。

何年か前に "Time" というハリウッド映画が上映されて話題になった。その世界では「時間」が通貨になっていて、人々は働いて時間を得て、物を買うのに時間を支払う。金持ちは莫大な時間を持て余していて、永遠に生きることもできる。しかし貧困層は毎日時間をやり繰りするのが精一杯、下手すると時間不足で死んでしまう。
それぞれの腕に残り時間が絶えず表示されていて、それが刻一刻と減っていく。それは映画の設定をわかりやすくする効果があるけれど、その点は私たちもまったく同じ。絶えず減っていく時間が、可視化されたに過ぎない。

つまり私たちの時間も、刻一刻と減っている。そう考えると恐怖すら覚える。

仕事観に関するブログなど見ても、同種のことが言われている。働いて給料を得るというのは、すなわち自分の時間をお金に換えることなのだと。それはその通りで、だからより高い時給の仕事が望まれるのだと思う。
もっともこの交換は一方通行で、お金で自分の時間を買い戻すことはできない。そういう意味では、どんな良い時給で働こうが、一文にもならない苦労をしようが、時間だけは平等に過ぎていく。

では人間にとって最も大切なのは「時間」かと言うと、そうでもないと私は思う。もちろん大切な要素であるのは変わらないけれど、そのものが最重要なのではない。それはどんどん指の隙間から抜け落ちていくものだから。

要は、その残された時間を使って何をするかではないだろうか。
例えば「愛」が最も大切だとして、それを眺めているだけでは何にもならない。「お金」も同様だ。そこにあるだけでは、大切かどうかは全然意味がない。愛が大切であるなら、自分の時間を使ってどう愛を表すかが重要であるはずだ。

最も大切なことというのは、人それぞれあるだろう。しかしその大切なものを大切にせしめるのは、その為にどれだけの時間を使って何をするかにあると私は思う。

追記)
小難しく書いてしまったけれど、これは当たり前といえば当たり前だろう。なぜなら人は普通、自分にとって価値あることにしか自分の時間を使わないからだ。

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