教会の小グループ制について思うこと

2013年10月14日月曜日

キリスト教信仰

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 スモールグループとかセルグループとか呼び方はいろいろだが、いわゆる「小グループでの活動」というのがキリスト教会に少なからず導入されている。日本に入ってきたのは90年代らしい。同じような時期に入ってきた「弟子訓練」と同じく、教会のカルト化問題と一緒に語られることが多い言葉だ。

 けれど、これは仕組みとしては悪くないと私は思っている。要は信徒数が増えて牧師一人で対応できないから、全体を小グループに分けてそれぞれリーダーを立て、牧師の牧会を手伝うという方法論であろう。合理的かつ効率的に思える。旧約聖書のモーセも、しゅうとの助言に従って似たような仕組みを作った。ローマ帝国の軍隊も、千人隊長とか百人隊長とかいったピラミッド型の組織を採用していた。現代の企業も営業部とか総務部とかいろいろ部門に分かれていて、それぞれに長と部下がいるという意味では、似たようなものだと思う。

 私の知っている教会の多くも、スモールグループを採用している。それなりに成果(?)が出ているという話も聞く。一方で、そうでない話も聞く。

 ある教会の友人は、一つのグループのリーダーを務めていた。メンバーは十名弱くらい。数年間いろいろ活動したけれど、結局どのメンバーも教会に定着しなかった(もともと教会に来たり来なかったりの人たちばかりだったようだ)。形からすると、彼がグループをうまく導けなかった、ということになる。
 後でそこの牧師が彼に言ったのは、「自分に余裕があったら自分が彼らの成長を導いてあげられたのに、残念だ」という、完璧なるダメ出しだったという。まるで彼のせいでメンバーが離散してしまったと言わんばかりだったようだ。

 真面目な彼は落ち込んでしまい、「悔い改めの祈り」みたいなことまでしたらしい。けれど、私には彼に責任があるとは思えなかった。
 もちろん、小グループのリーダーはある程度の学習期間をもってスタートするのが普通で、彼もそうやってリーダーになった。けれど、そこまで専門的な対人援助技術を系統的に学んだ訳ではない。ほとんど素人同然のうえ未経験だから、ぶっつけ本番みたいなものだっただろう。使える時間も限られている。それで相手がほとんど初対面なら、最初の数年は信頼関係を築くのに費やすのが普通だから、何のアプローチもできない。
 そういう条件下でメンバーが定着しなかったとしても、何ら不思議はない。殊更にリーダーが悪いとかメンバーが悪いとかいうこともないだろう。それでダメ出しされるのは、公園のゴミ拾いのボランティアを少しサボっただけで本気で怒られた、みたいなものだ。

小グループという形そのものは悪いものではないと思う。私の教会もやっていたけれど、特に問題があるようには見えなかった。
確かに発展するグループとそうでもないグループというのはあったけれど、そういうのはグループ内の人間関係や環境やその時々の状況などが、複雑に絡み合って起こるものだ。一概にリーダーの力量不足とは言えないだろう(リーダーの力量、というのも定義しづらいものだけれど)。
そういう意味では、小グループ制は悪いものでないにしても、絶対的に良いものとも言えないように思う。

少なくとも前述の友人のような、暗に結果を求められるような在り方には問題があるだろう。そこにあるのは成果主義で、しかもノルマ達成時の報酬などない成果主義だからだ。高いハードルだけが設定されていて、越えて当然、越えられなければダメ出しが待っている。
そういう小グループ運営に魅力を感じるならやってもいいだろう。もちろん私は遠慮するが。



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