「家族的な組織」に危機が訪れる前に準備しておきたかったこと

2013年9月30日月曜日

キリスト教信仰 雑記

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 通っていた教会で問題が起きて、紆余曲折を経て解散となった。決して事の初めから解散が望まれていた訳ではなかったが、諸事情あって回避できなかった。
 もっと別のやり方があったのかもしれない。けれど後悔先に立たずだし、当時は当時で皆真剣に事態に取り組んでいた。その結果であるから、最終的に解散となったのも止むを得ないとは思う。

 ただ、問題の傷口を広げてしまった一つの要因は、教会組織に、いわゆる定款のような「法的効力のある規則」がなかったことにあると思う。

 大きな教会や教団であれば、定款やそれに準ずるものが備わっているだろう(宗教法人であれば必須)。その定款に添うことで、教会は誰がリーダーであっても役員であっても、ある程度均質な運営ができるようになる。緊急時もそれに従って行動すればいい。

 しかし牧師が一人で開拓したような小規模な教会だと、いわゆる自営業みたいな運営方法から始まるのが一般的だろう。そこには何の決め事もないし、あっても口約束みたいなものだし、それもコロコロ変わっていくものだ(むしろ開拓当初はその方がいいかもしれない)。信徒が増え、教会が大きくなったらある時点で組織としてのあり方を検討しなければならなくなるけれど、なかなかそうできない。その理由は、一つにはそういう必要性に意識が向かないというのがあるだろう。定款作りのための会議とか書類作りとかの煩雑さもあると思う。特に成長中の教会であれば、そんな余裕はないかもしれない。

 そういう訳で、組織作りが放置されたままの教会というのはけっこう多いのではないかと思う。私の教会もそうだった。仮に役員会とか執事会とかがあっても、定款のような形で定められた規則がないとか、その規則が形だけで無視されているようなら、やはり放置されていると言わざるを得ない。

 もちろん順調な時なら、定款などなくても問題ない。「神の家族」ということで、仲良く信頼し合って、教会をやったらいい。

 けれど、例えば相続問題で肉親どうしが争うのを、多くの人が実際に見たり体験したりしていると思う。私も身近なところで、相続でトラブルとなった家族を何度か見てきた。親の遺言がないとかの原因で(時には明確な遺言があってもなお)、家族として育ってきた兄弟姉妹が、遺産をめぐって激しい言葉で罵り合い、奪い合い、生涯断絶していく。そういうのを見ると、人を信頼するとはどういうことだろうと考えずにいられない。

 知り合いのボランティア団体の代表者も、「お金のことだけは最初にハッキリしておかないと、絶対トラブルになる」と言っていた。

 肉親や善意の集団でも、金銭が絡むと争うことになる。
 私の教会はそういう意味の金銭問題でもめた訳ではないが、同時に噴出した諸問題にどう対応すべきか、どういうメンバーが話し合うべきか、どうやって決めるべきか、等の規則が一切なかったため、かなりの時間を費やした割にほとんど何も決まらない(決められない)という状況に陥ってしまった。法的な根拠を上げるにもいちいち調べなければならず、時間だけが徒に過ぎていった。

 もう過ぎたことだけれど、私の教会にしっかりした定款があったら今頃どうだったろうかと思う。結果は変わらなかったかもしれないけれど、そこに至る経緯はもっとシンプルだったのではないかと思う。

 東日本大震災以来、津波対策や原発の安全対策が叫ばれている。それはそれで大切なことだけれど、いわゆる口約束が習慣化している「家族的な」教会も、危機対策を怠ってはならないと思う。

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