「ネット断ち」をして気づくネット依存。環境を変えてみる重要性

2013年9月20日金曜日

生き方について思うこと

t f B! P L
 先日、高校男子バレー部の体罰の現場映像がネットに流れ、大々的に報道された。世間の非難を浴び、学校関係者は急遽対応に追われることとなった。
 これは現場を撮影した生徒(?)の勇気や功績が大きいのはもちろんだけれど、何よりインターネットの、とりわけSNSの拡散力があってのことだとも思う。何故ならそういうものがない時代であれば、撮影から公表まで相当の手間がかかるだろうし、下手すると公表されないかもしれないからだ。

 同じネットの拡散力をもって、「バカッター」なるものも話題となった。ほんの数枚の写真で、実際に多くの店舗が閉店に追い込まれた。こんなことは数年前まで想像もできなかったろうと思う。

 誰かが「ネットは拡声器のようなものだ」と表現していたが、その通りではないだろうか。しかもその声は、いつまでも残る。ポジティブなものはよりポジティブに、ネガティブなものはよりネガティブに、どんどん増殖していく可能性を秘めている。

 ネットというのは便利なものでもあるが、同時に非常に恐ろしく、破壊的なものでもあるだろう。

 ネットといえば、今は携帯電話、特にスマホでの利用が多いだろう。日本の携帯電話の普及率は2011年の時点ですでに100%を越えているから、統計的にはあらゆる人がネットに接続された環境に生きている、ということになる。
 いわゆるユビキタス時代(もう死語か)の到来であろう。

 私は基本的にそれを歓迎している。メールの利用が多いから、都合の良い時にネットが使えないと困ることにもなる。けれど、だからこそでもあるが、「ネット断ち」を時々した方がいいとも思っている。

 休みの日など、携帯電話を持たずに自然の中に出て行くようにしている。べつに自然である必要はないのだが、「携帯もPCもない=ネットにつながっていない」という自分を取り戻すのは、私個人としては大切なことだ。その効果というのは「気分が変わる」だけなのだが、それが案外バカにできない。気分が変わると考え方が変わり、考え方が変わると行動が変わる。行動が変わると習慣が変わり、習慣が変わると人生が変わる。私は本当にそうだと思っている。

 とはいっても、ネットが悪いという訳ではない。要は「まず環境を変える」ということだと思う。そういう意味では、普段ネットを全く使わない人がネットを使うのも、良い変化になり得る。

 私の属した教会が解散となった時、多くの人が、傷を抱えたまま放置されたような状況となった。そして多くの人が、職場を変えたり住居を変えたり、その他の何かを変えたりして、再出発を試みた。やはり環境を変えたかったのだと思う。そしてそれは後ろ向きなことでなく、かえって前向きなことだと思う。

 気づかないうちに何かに慣れ、依存し、それを中心に生活するようになる傾向が、誰にもあるだろう。それを時々やめてみたり、変えてみたりすることは、自分自身を点検する良い機会になるだろうと思う。

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