「ノアの日」はある日突然やってくる

2013年9月16日月曜日

キリスト教信仰

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 私の教会は解散となり、もうないのだけれど、そのキッカケとなった出来事は、唐突に起こった。誰もそんなこと夢にも思わなかったと思う。私もそうだった。ある日気づくとそれはもう起こっていて、ショックやら何やらに流されるまま、解散という結果に辿り着いていた、という感じだ。

 それが起こる前、私たちは大きなイベントの準備で、毎日忙しくしていた。イベントはそれまでにない規模の大きさだった。そういう意味で、私たちはそれまでで最も盛んで、最も勢いがあり、最もエネルギッシュだった。その最中、突然足元をすくわれ、総崩れになったのだ。日本のためとかアジアのためとか若者のためとか、そういう使命感に燃えたイベントも、影のように消え去った。

 そういうことが起こるという危険性を感じていた人もいたかもしれないが、いつ、どんなことが起こるかまではわからなかっただろう。

 今にして思うと、それは私たちにとって「ノアの日」のようなものだったのではないかと思う。

 マタイ24章は、いわゆる「世の終わり」について書かれている。キリストいわく、「世の終わり」は「ノアの日」のようにやってくる。ノアの日とは、創世記6章から9章にある大洪水のことだ。その洪水が起こるまで、人々はいつも通り暮らしていて、それが全てを流してしまうまで、気づかなかった。世の終わりもそれと同じようにやってくる、という。


 もちろん、私に起こったのは一地域教会のことであって、世界規模とはかけ離れている。人々からしたら取るに足りないことかもしれない。いやいや、世界ではもっと悲惨なことが起こっているよ、と言われるかもしれないし、私もそうだと思う。

 けれど、私自身はこれを大切な教訓にしなければならないと考えている。

 かつて教会では、「世の終わりに備えよう」と言われていて、私もその通りだと思っていた。しかしフタを開けてみると、私こそ「予備の油を準備していなかった愚かな5人の娘」だったのだ。

 準備が必要だと思うことと、実際に準備することは全然違う。

 起こったことはとても悲しいことだけれど、もしそれを通しても得られるものがあるとしたら、それではないかと思う。通った苦しみや悲しみを糧として、本当の準備ができるようになることこそ、私たちに対する神の願いだろうと思う。

 クリスチャンの方々の現在の信仰の歩みが、突然やってくる「ノアの日」に際してなお真実と認められ、立ち続けていられることを、及ばずながら願うばかりである。

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