2013年9月13日金曜日

運命とそれに抗う努力の対立でなく、両者のバランスをとる生き方

「ガタカ」という90年代の映画がある。
 近未来、遺伝子操作の進歩により、あらゆる優れた遺伝形質を持つ「適正者」たちが生み出されている。一方、自然出産で生まれる人々は、優劣を併せ持つ遺伝子のため「不適正者」と呼ばれていて、両者の間には厳格な差別が形成されている。
 主人公のビンセントは自然出産で生まれた不適正者だが、弟のアントンは適正者である。ビンセントは少年期から何をしてもアントンに勝てず、「不適正・劣性」という事実が重くのしかかる。しかしビンセントは諦めない。やがて彼は非合法な手段を使い、適正者しかなれない宇宙飛行士になって宇宙にはばたく。
 というのがあらすじである。

 私が好きなのは序盤の方の、ビンセントがアントンに初めて「勝つ」シーンだ。2人は海で泳ぐのだけれど、いつもは負けるビンセントが、その日ばかりはアントンを引き離し、弟に参ったと言わせる。
 わずかなシーンだけれど、私はここでこそ、ビンセントが「不適正者」という運命に立ち向かおうと決意したのではないかと思う。

 ここには「諦めず努力すれば運命は開かれる」という、若干歯の浮くようなテーマが込められているだろう。突き詰めると、精神論とか根性論とかいうものだろう。そういう意味で、この映画のテーマは「運命論 vs 精神論」かもしれない。

(「運命論」とは何かとか、精神論とは何かとか、厳密な定義づけをしようとは思わないし、どなたかにしていただく必要もない、と断っておく。)

 この映画の「適正者」「不適正者」のような、ある程度運命を決定づけられた立場というのは、 現代社会にもあるだろう。例えば親の経済力は子どもの進路を大きく左右するし、皇室や歌舞伎の世界は事実上の世襲となっている。生まれた国もその人の人生を大きく左右する。完全に抗えないではないが、抗いがたい道であるのは間違いないだろう。

 そういう抗いがたい運命に対して、ビンセントのように努力で立ち向かうのはカッコいいと私は思う。

 けれど、それは本人が「何としてもやり遂げる!」と決意して臨むからカッコいいのであって、「何としてもやり遂げろ!」と人に押し付けるのは話が違うと思う。私は運命論より精神論の方がどちらかというとシックリくるが、人から押し付けられる精神論というのはいただけないと思っている。

 ロシアの格言に「神に祈れ、だが岸に向かって漕ぐ手は休めるな」というのがあるが、この「運命論 vs 精神論」にうまく決着をつけていると思う。
 最後まで諦めず努力すべきだが、結果は全能の神の御手に委ねたらいい、というふうに私には聞こえる。

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