窮地の敵に同情するか、さらに拳を振りかざすか:米軍ヘリ墜落事故をみて

2013年8月6日火曜日

雑記

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沖縄の山中、住宅地から2キロ程のところに、米軍のヘリが墜落した。3名が負傷、1名が行方不明となった。その1名は残念ながら、死亡した可能性が高いとのこと。

その事故に対する日本国内の反応は、大きく二つに別れている。
一つは、「だからオスプレイも米軍基地もいらない。追い出すべきだ」というもの。
もう一つは、「死者に哀悼の意くらい表したらどうだ」というもの。

前者は、墜落地点が住宅地そばだったのを強調して、「大惨事になっていたかもしれない」と基地反対を訴えている。後者は、その兵士たちが東日本大震災の救援活動に従事していたのを強調して、「追い出せと言う前に感謝くらいすべきだ」と訴えている。

もしかしたら両者は、基地反対という点では同意見なのかもしれないけれど、少なくとも上記の点では対立している。

私は現地にいる訳でもなく、詳細を知っている訳でもない。だからテレビやネットの情報から判断するしかないけれど、どちらの主張も間違っていないように思える。確かに住宅地に墜落するような訓練はしてほしくないし、そうであってもなくても、事故に遭った兵士の方々は気の毒だ。

そういう認識の上で書くけれど、「哀悼の意くらい述べるべきだ」というのはとても配慮のある、大人な意見だろうと思う。「ドラえもん」のキャラで言えば、出木杉君あたりが言いそうだ。
それに比べ、死傷者について一切ふれず「米軍を追い出せ」と鼻息を荒くするのは、いかにも品がないように思われる。こちらは出木杉君に比べてジャイアンみたいなものかもしれない。

どちらが理想かと言えば、出木杉君かもしれない。

けれど、ジャイアンみたいな反応になるのも仕方ないのではないか、と私は思った。

私は沖縄に住んだことがないから、基地の存在のデメリットを肌で感じたことはない。よく報道される、米兵による被害事件というのも経験がない。けれど、もし自分や近しい人がそういう被害に遭うか、そういう危険に恒常的に晒されているとしたら、とても冷静ではいられないだろうと思う。もし何かされたら復讐を考えるだろうし、今回のような事故が起きたら「ざまあみろ」ときっと思ってしまう。

そういう当事者の方々の気持ちとか思いとかを無視して、正論を振りかざすのは、本当の意味の「配慮」とは言えないような気がする。

もちろん、敵であっても窮地にあれば助ける、というのが理想ではあると思う。それができるのは「良い人間」かもしれないし、私たちはそれを目指すべきなのかもしれない。

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