被害に遭わなければわからない危険

2013年8月3日土曜日

カルト問題

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「カルト」の定義はおおまかには「反社会的宗教団体」だそうだが、細かいところは曖昧なようだ。犯罪行為の有無とか虐待の有無とかマインドコントロールとか、いろいろな要素があって明確な定義はできないのかもしれない。

 その定義が判然としないように、その被害状況もいまいち見えてこない。被害者数とか規模とか内容とかの公式発表はないし、あっても特定の宗教団体に関するものだけで、それも有志の個人や団体が非公式にまとめて下さったものだ。だから「今日本にはこれだけのカルト被害があります」という発表を、正確な数字とともに行うのは難しいようだ。

 が、被害者団体がいろいろ設立されているところを見ると、被害者数というのは決して少なくないのではないかと思う。声を上げられない被害者だって多いだろう。

 カルト被害というのは、まだまだ一般に認知されていない分野だろう。
 1995年のオウム真理教報道がその始まりだったかもしれない。けれど、あれはまだ「変な新興宗教が変なテロ事件を起こした」という視点が主だったと思う。宗教を利用した虐待やマインドコントロールの危険性は、さほど注目を集めたとは言えないのではないか。ましてそれが新興宗教だけでなく、キリスト教にも蔓延しつつある問題だという認識は、ほとんどないだろう。

 一つには、カルト被害にあった被害者が、声をあげにくいという状況があるだろう。被害者の会を作るには誰かが動かなければならないけれど、関係者みんなが被害者だったらそれも難しい。

 もう一つには、被害に遭わなければその危険性がわからない、という状況があると思う。例えば宗教団体内で虐待されていた信者が、逃げ出そうと思えばできたのに、あえてそこにとどまり続けたというケースがある。普通なら「そんなバカな」「自分なら絶対逃げ出す」と思う。当事者にとってそれこそがカルト被害の恐ろしさなのだが、部外者は「そういうのに引っかかりやすい人の、かわいそうな事件」と片づけてしまいかねない。
 あるいはそういう無理解を超えて、カルト被害者を「自己責任だ」と責め立ててしまうかもしれない。

 私も、属していた教会での体験を思い出すと、(すべてではないが)非常に辛くなる。が、なぜ逃げなかったかと聞かれても、私にとってそれは逃げるかどうかの問題ではなかった、と答えるしかない。どうせわからないだろうと、説明を諦めてしまう気持ちにもなる(ちなみに、私の教会がカルトだったかどうかという点について私は判断できない)。

 ともあれ、カルト被害に対する正しい理解と治療のプロセスが、絶対必要だろうと私は思う。この被害の理解と治療については、ヘッロの言葉を引用したい。

「包帯を巻いてやれないのなら、他人の傷にふれてはならない。」

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