人にも作れる「神の臨在」について

2013年8月28日水曜日

キリスト教信仰

t f B! P L
 私の生活圏内に、何やら騒がしい店がオープンした。どうやら会員制らしいが、ガラス張りの店内を通りすがりにチラ見しても、何を売っているのかよくわからない。正直言うと店なのかどうかもわからない。時折セミナーみたいなものを開いていて、大勢が遅くまでワイワイやっている。

 ちょっと調べてみたが、やはり実態はよくわからない。わかるのは何かの啓発活動をしているらしいということだけだ。けれど宗教的なものではない。少なくともキリスト教会ではない。

 一度だけ、セミナーが終わって大勢の人が出てくるところに遭遇したことがある。皆笑顔で、和気あいあいと話していた。幸せそうで、どの顔にも「自信」みたいなものが見て取れた。周囲の一般の人々とは、明らかに違う雰囲気だ。

 それを見て、私は実は懐かしさを覚えていた。私のかつての教会と、とてもよく似た雰囲気だったからだ。その店に十字架がない以外、私の教会と全く同じと言ってもいいと思った。

 私は教会での笑顔や、楽しい会話や、満ち溢れる自信(自信という言葉では表しきれない気もするが)は、「神の臨在」とか「聖霊の満たし」の結果だと思っていた。
 けれど、それと全く区別のつかない雰囲気が教会でない場所にもあるとするなら、教会のそれも人為的に作られたものでないかどうか、疑ってみなければならないのではないだろうか。

 そうやって疑うことは不信仰だと言われるかもしれないが、何でもかんでも神様からのものと決めつけてかかるより、間違いがないように思う。たとえ牧師がそう言ったとしても、ほとんどの信徒が支持したとしても、何の吟味もなしに信じるのは、神様に喜ばれないことではないだろうかと思う。




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