日本にキリスト教が普及しないのは、そもそも宗教観が存在しないからではな い か

2013年8月21日水曜日

キリスト教信仰

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 自分がクリスチャンだと言うと、「それって心の弱い人がなるものでしょ」と返されることがある。
 弱い人、困っている人が宗教に頼るのであって、立派に生きられる人(?)はそんなの必要ない、というような意味だと思う。

 熱心なクリスチャンはそれをムキになって否定するかもしれない。けれど、私は一理あると思っている。何故なら私も学生時代に悩み疲れた末にクリスチャンになったのだし、知っている多くのクリスチャンも同じような経験をして入信しているからだ。もちろんそうでない人もいるだろうが、圧倒的に多いのは私のようなタイプではないかと思う。

 そもそも宗教には、そういう要素があるだろう。キリスト教で言えば「救済」というのは大きなテーマだし、イエス・キリストが手を差し伸べたのは当時の悩める人、卑しい人たちばかりだった。だから「弱い人が頼るものでしょ」というのはその通りで、「それがキリスト教なんですが」と答えるしかない。

 これはまた、国によっても違うだろう。たとえば欧米のキリスト教国なら生まれながらのクリスチャンが多いし、そうでない人にも教会とか聖書とかが身近な存在となっている。だから必ずしも「弱い人=宗教に頼る」という構図は、成り立たないかもしれない。

 一方で日本は、この「弱い人=宗教に頼る」という構図(というか先入観)は強いと思う。神社仏閣は多いけれど、果たして「宗教観」はあるだろうか。教育は無神論(進化論)だし、政治は政教分離だ。宗教について学ぶ機会は、普通ならない。そんな日本の国内や日本人の心の中に、「宗教」なるものが存在するスペースは、あまりないのではないだろうか。

 むしろ、宗教はあまり必要とされないだろう。下手するとスポーツサークルとかカルチャー教室とか、そういう趣味のコミュニティー程度にしか認識されないかもしれない。そん中で宗教に熱心だというと、「よっぽどの問題を抱えているんですね」等と言われかねない。

 これは、日本にキリスト教を広めようとするなら不利に働く現象だろう。そもそも必要とされないものを売って歩くセールスマンが直面するのと、同じ種類の難しさではないだろうか。
 そう思うと、日本のクリスチャン人口が1%程度というのも、決して絶望するような数字ではない気がする。

 日本で福音伝道して一旗揚げようと情熱を燃やしている方がいるなら、是非そのことをチラッと考えていただければと思う。
 何の役にも立ちはしないだろうが。

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