人生をやり直せないのは、不幸なことではない

2013年8月10日土曜日

雑記

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 時間を戻してやり直せたら、と思うことがある。もちろん不可能だから、想像するだけなのだが。

 最近そう思ったキッカケは、海外ドラマ「フリンジ」の最終回を観たことだった。最近リリースされたシーズン5で、同シリーズは無事に完結した。

 シーズン5のあらすじを簡単に書く(ネタバレするので、これから観たい人は注意してほしい)。

 2015年、地球は未来人の侵略を受け、あっけなく敗北してしまう。フリンジ・チームはレジスタンスとして活動するが、難を逃れるため仮死状態となる。それから21年後の2036年、チームは仮死状態を解かれ、活動を再開する(シーズン5の舞台は主にこの2036年である)。
 チームには、未来人の侵略から地球を救う起死回生の計画がある。それは未来人の進化のポイントとなった2167年にタイムワープし、その進化に干渉することだった。
 紆余曲折を経て計画は成功、進化に干渉した結果、2015年の未来人侵略はなかったことになった(時間をリセットした、という表現だった)。

 細かいエピソードがいろいろあって私は感動しつつ観た。けれど一つ寂しかったのは、2036年のフリンジ・チームの戦い(つまりシーズン5そのもの)が全て、存在しなかったことになった、ということだ。それはそれでハッピーエンドなのだが、多くのキャラの苦労とか犠牲とか思いとか、そういうものが全部なかったことになったのは、どこか夢オチに似ている気がした。
 徒労というか、今まで観たのは一体何だったんだろう、という感覚だ。

 私たちの人生にはいろいろなことが起こる。良いことや計画通りということもあるだろうし、想定外なことや不運なこともあると思う。良いと思っていたことが、実は悪いことだったと気づくことがあるかもしれない。
 そういう時、時間を戻したいと思うことがあるだろう。時間を戻してやり直せたら、もっと良い選択ができるのにと思うからだ。

 けれど、それは現実的には不可能だろう。もし可能だとしても、単に時間を戻しただけならまた同じ選択をしてしまうのではないだろうか。その結果を知った状態でやり直すからこそ、戻る意味があるのだ。

 だがこの考え方を突き詰めると、結果を知ったうえでなければ選択しない、という生き方になると思う。自分の選択に責任を持ちたくない、ということでもあると思う。枝分かれするルートの先を見るように、得なこと、良いこと、楽しいことだけを上手に選びながら生きられるとしたら、確かに安楽かもしれない。けれど、人間らしくないような気がする。
 結果がわからない選択肢のどれか一つを選び、その結果が良くても悪くても自分の責任として受け入れ、そこから何かを学ぶ、というのが人としての生き方だと私は思う

 確かに失敗としか思えない選択もあるだろうけれど、それ以外の選択の結果を知ることはできない。であるなら、それが本当に失敗だったかどうかは、私たちには判断しきれないはずだ。もしかしたら、その「失敗」は後に良い結果につながるかもしれない(もちろん犯罪行為を選択するのは論外で、その結果良いことが起こるとは私は思わない)。

「フリンジ」は良いドラマだけれど、この「時間をリセットする」という考え方を私たちの人生に適応すべきではないと思った。

 私たちは結果のわからないことを日々選び、その実際の結果を見ている。良いことも悪いこともあるだろうが、どれもやり直せない。そしてその結果はいつまでも、私たちの人生に残るだろう。
 けれどそういうことを通して選択の重要性を知ることができるなら、それは決して悪いことではない。いや、良いことだと私は思う。

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