長く見たからわかるものは、説明しても伝わらない

2013年7月6日土曜日

雑記

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 ワタミのブラック企業振りが話題になっている。被害者のいろいろな実例、1日20時間労働とか失踪者続出とかが取り上げられていて、「カルト教団みたいだ」との声も出ている。

 その中の一つ、「拘束時間と自由時間の区別がわからない」というのは、長年Mの支配下にあった私にはよくわかる心境だ(そもそも「自由時間」という表現になるのがおかしい。私たちは根本的に自由であるはずだ)。

 が、当の会長は自民党公認で選挙に出馬したり、メディアの取材で敏腕経営者振りを見せたりと、その姿は一連の「ブラック企業報道」とのギャップが大きい。メディアに露出する会長本人の人柄を見る限りだと、内部告発の方が、会長の失脚を狙う陰謀のように思えなくもない。陰謀とまで言わなくても、大袈裟なんじゃないかと感じさせるものがある。

 このワタミを取り巻く状況というのは、私の教会のそれと類似している。

 Mの第一印象は非常に誠実で、ユーモアがあって、謙遜で、信頼を置くに足る人物というものだった。一般的な形でMと出会ったなら、彼を悪く思う材料は何一つないだろう。
 が、彼と長く過ごしている者には、それが「外ヅラ」であることがわかる。普段は見せない強権的で暴力的な面が潜んでいることを、経験的に知っている。
 
 それを公に告発しようとすると、今回のワタミのような状況になるだろう。
 現場の従業員たちから悲痛な告発がなされる中、会長本人はあくまで冷静に、あるいは紳士的に、あるいは憂いた表情で、「ブラック企業ではありません」と弁明する。聞いている方は、どちらが正しいのかわからなくなる。下手すると告発する従業員たちを、被害妄想者のように見てしまいかねない。
 
 人の本性というものは、やはり近くである程度長く見ていないと、わからないものだろう。そしてその本性は、外部の人間にいくら説明しても、根本的には伝わらないだろうと思う。
 
 私の教会の場合は幸い、ある信徒がMの悪行の証拠を押さえていて、本人も認めざるを得ない状況だった。そこから他の不正も次々と露わにされ、結果的にMは逃げ出すことを選んだ。その点はワタミとは違う。
 
 ワタミの件にしても、もし本当にブラック企業であるならば、それを証明できるのは従業員たちしかいないだろう。経営側はそれを隠蔽するとか従業員たちを黙らせるとかするだろうから、うまいこと証拠をつかむしかないかもしれない。そして感情的にでなく、客観的にその違法性を訴えるしかないように思う。
 
 ワタミのブラック企業報道の真偽はわからないけれど、どうか真実な声が公に届いてほしいと思う。会長の弁明が正しいのか、従業員たちの叫びが正しいのか、真実が明らかにされて、公正な判断がされてほしいと思う。

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