クリスチャンホームほど、家族の時間を持ちにくいのではないか

2013年7月28日日曜日

キリスト教信仰 教育

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 クリスチャンホームにとって、家庭生活を持つことは案外難しいのではないか、という話。

普通「クリスチャンホーム」とは、「同居する家族全員がクリスチャンである家庭」を言うだろう。文字通りクリスチャンだけの家庭だ。

 夫婦の片方が未信者だとか、両親が未信者だとか、自分以外の家族全員が未信者だとかいう環境に比べると、クリスチャンホームは格段に過ごしやすい。毎週日曜に家族で同じ教会に通うのは喜ばしいことだろうし、いわゆる「恵み」だろう。

 一般的な家庭だと、平日はお父さんは仕事、子どもは学校だ。だから家族全員が揃うのは週末だけで、そのうち日曜は教会で過ごすから、純粋に家族だけで過ごせるのは土曜だけ、ということになる。

 私の知り合いにも、土曜は基本的に家族だけで過ごすという家族がいる。みんな仲が良くて、見ていて微笑ましい。

 が、そうできる家族ばかりでないだろう。私もそうだが、土曜に働くという人は少なくないし、子どもの方も用事が入ることもある。教会行事が入ることもあるだろう。

 それでも、日曜に家族が一緒にいるからいいかと思うかもしれない。が、それは家庭生活でなく教会生活だ

「教会」という社会の中にいる限り、親は親としてだけいられないし、子どもも子どもとしてだけいられない。もしかしたら親は教会学校の先生かもしれないし、高校生の子どもはユースグループのリーダーかもしれない。教会ではそれぞれ役割というものがある。
 それに、教会で家族がまとまって行動するというのは、見たことがない。

 そう考えると、家族だけで過ごす休日を持ちにくいクリスチャンホームというのは、案外多いのではないだろうか。

 もちろん、週一回は必ず家族で過ごさなければならないとは思わない。
 が、クリスチャンホームほど、家族の時間を意識して持つようにした方が良いとは思う。

 先日、久しぶりに風呂掃除をした。ずっとしたいと思いながら、できずにいた掃除だ。汗だくになって浴槽を磨きながら、ふと「そういえば子どもに風呂掃除をさせたことがないな」と気づいた。
 私自身は子どもの頃、よく風呂掃除をさせられていた。
 このまま子どもに風呂掃除について教えなかったら、彼らは風呂を掃除する苦労とか、親を手伝う心とかを十分知らずに大人になってしまうのではないだろうか、それはまずい、と思った。

 もちろん風呂掃除を教えるくらいなら一日もかからない。平日の夕方にでもできる。
 が、これは時間の話ではない。学校も教会も関係なく、家庭の中で子どもに向き合うこと、子どもに時間をかけることが、親として絶対必要だろうと思う。そしてそれは、教会の中にいてはできない。

 家族一緒に教会生活を送っているから大丈夫だ、というのは違うと思う。親と子の関係は、「教会」という集団の中では育たない。

 よく「彼は教会で育った、教会の子だ」というようなことを言う。それは良い意味で言われるのだろうが、私は必ずしも良いとは思わない。なぜなら彼は教会の子である前に、その親の子どもだからだ

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