ある映画を禁ずることの効果は…?

2013年7月25日木曜日

キリスト教信仰 教育

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 聖霊派クリスチャンの一部(?)に、映画「ハリーポッター」シリーズは観てはいけない、と言う人たちがいる。「ハリーポッター」の根底にあるのは悪魔崇拝だから、観ると悪影響を受ける、という主張だ。もちろん「ハリーポッター」だけでなく、魔術とかホラーとか殺人とか、そういうのは彼らに言わせると全部ダメになる。

 そう主張するのは、教会の牧師や長老といったリーダー層や、「意識の高い」ホームスクーラーに多いように思う。そしてそれを言われるのは、いつも子どもたちだ。

 チャーチスクールの教師時代、生徒たちが観る映画のことが教師間で結構話題になった。〇〇くんが××という映画を観に行った、問題だ、どう対応しよう、という類の話だ。

 正直言うと私は映画が好きで、生徒たちの行動をあれこれ制限するのは反対だった。どういうテーマであれ素晴らしい映画というのはあるし、そういうものに触れないというのは大きな損だからだ。が、そうは考えない真面目な(?)教師が多く、多勢に無勢だったので、私は卑怯にも黙っていた。
 その代わりと言ってはなんだが、生徒と個人的に話す時は、「あの映画良かったよね」とひそかに盛り上がっていた。

 私が知る限り、子どもというのは映画に限らずいろいろなものに興味があるし、一番いろいろなものを吸収できる時期だ。が同時に、賢い子ほど、大人に気に入られる方法を心得ている。「ハリーポッターは悪魔崇拝だから観てはいけない」と言われれば、その価値観を察して、一応の恭順を示す(本当は観たかったりする)。大人はそれを見て安心し、自分の主張が正しいと信じ込んでしまう(その結果、子どもの心がわかっているつもりで全然わかっていない教師が誕生し、大人をうまくあしらう生徒が出来上がる)。

 こういう傾向は、ホームスクーラーに多いような気がする。情報が極端に少ない環境に子どもを置き、両親の検閲なしには何も見せない、聞かせない。それで子どもを守っているつもりになっている。共産主義の縮小版になっていることに残念ながら気づいていない。

 一つ気になるのは、「ハリーポッターはダメだ」と主張する人たちが、どうやってそう確信したかだ。自分で観て確かめたのなら、「あなたは観たんでしょう」と私はツッコミたい。もし人から聞いただけなら、「なぜ人の話を鵜呑みにするんですか」と、やはりツッコミたい。「自分は観ても大丈夫だ」と思っているとしたら、傲慢というものだ。

 もちろん、明らかなポルノやグロテスクを売りにした作品だったら悪影響があると思う。誘惑になるものは見ない方がいいし、そういうものは誰にも勧めない。
 が、そういう極端な例は別として、何を観るべきか、何を聞くべきかは、自分自身である程度失敗しないと見えてこないだろう。「これは素晴らしい」とか「これはダメだ」とか判断できるのは、観たからであって、人に言われたからではない。「この映画はダメだ」と禁止するのは、そういう判断力を身につけるチャンスを奪い取ることと同じではないだろうか。

 私たちは神様から「選択の自由」を与えられているのだから、その自由を子どもたちにも与えるべきだ。もちろんその判断基準を明確に教え、自ら良いものを選びとれるような資質を備えることが、教育の責任だと思う。が、もしそれが上手くできないとしても、だからといって自由を奪うべきではない。

 私たちはもっと子どものことを信頼し、その選択に信頼すべきだと思う。たとえ子どもが選択を誤ったとしても、騒ぎ立てる必要はない。なぜなら私たちだって、数多くの誤った選択をしてきたはずだから

追記)
 もちろん、本当に観るべきでないものを禁止することも、時として必要になると思う。何でもかんでも自由に見せろという話ではない。

 また、「ハリーポッター」は興味がなくて、いまだに観ていない。だから本当に悪魔崇拝が根底にあるのかどうか、私には知る由もない。

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