「フライト」の感想。変人扱いされるクリスチャン。

2013年7月23日火曜日

キリスト教信仰 映画評

t f B! P L
 デンゼル・ワシントン主演の「フライト」をDVDで観た。
 ジャンボ機が背面飛行するシーンが、CMでよく流れていた作品だ。あれだけ観ると航空パニックものだが、内容は全然違う。墜落しかかったジャンボ機が、デンゼルの神業的な背面飛行などで不時着するシーンは、最初の20〜30分ほどだけだ。あとはアル中かつ薬物中毒のデンゼルの苦悩だけが延々と描かれる。最後の裁判(?)も、闘争と言えるほどではない。
 CMを観て期待した人には、非常に拍子抜けな映画だろうと思う。

 私もその一人だけれど、デンゼルの最後の行動を見て、やっとこの映画の意図がわかった。航空パニックでなく、「アル中患者の絶望と再起」を描きたかったのだ。配給会社が航空パニック的な演出で売り出したのは、観客のみならず制作サイドに対する裏切り行為であろう。

 それはそれとして、作中に登場するクリスチャンたちのことが気になった。副機長の夫婦とキャビンアテンダント、そして不時着地点のそばで集会(?)をしていた「ペンテコステ派」の人々がクリスチャンで、不時着をサポートしたり、救助活動に当たったりと活躍する。それに副機長は、デンゼルを守るために飲酒の件を証言しなかったり、彼のために祈ったりする。作中の一連のストーリーは、そういうクリスチャンたちに支えられていると言ってもいい。

 が、そういう彼らが好意的に描かれているかというと、そうでもない。ペンテコステ派の人々はいつも白いガウンを羽織った白装束集団だし、副機長の奥さんは何を言っても「主をほめたたえましょう」の繰り返し。明らかに奇妙奇天烈な存在として描かれている。

 アメリカでのクリスチャンの立場はよくわからないが、少なくとも日本のそれよりは良いように思う。が、それでも変人扱いされる向きはあるのだろう。熱心なクリスチャンが見たら、気を悪くするするかもしれない。

 だが私は、その描写は的を射ていると思った。多少デフォルメされているだろうが、やぱり世間一般的に「クリスチャンはちょっと変な連中だ」という認識があるのではないだろうか。表面的には普通に接することができても、一定の距離を保とうとするのが普通の反応のような気がする。そして、それは仕方のないことだと思う。

 そういう反応を見て、「未信者たちは何もわかっていない」とか「霊の目が開かれていない哀れな人たちだ」とか言うのも傲慢だろう。
 逆に謙遜になり、変人扱いも甘んじて受けるべきだと思う。あるいはクリスチャンにも一般的な常識や礼節があるということを、機会がある度に示していくべきだと思う。

 それは人々に安心感や理解を与えることになるかもしれない。そうであってほしい。そしてそうであるなら、それこそ良い伝道になると思う。

追記)
 クリスチャンを一括りに変人扱いしてしまったが、もちろん地域と好意的な関係を築いている教会だってあると思う。あまり聞いたことがないけれど。

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