キリスト教会とお金

2013年7月2日火曜日

キリスト教信仰

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 キリスト教の教会を運営するなら、普通は財政面を考えない訳にはいかない。

 医療機関や福祉施設が、社会貢献を目的としながらも、赤字経営では成り立たないのと同じだろう。一般企業ほど利潤を追求しないにしても、度外視はできない。

 教会は世界中に大小様々あるだろうが、その収入源は、大きく二つだと思う。
 一つは、信徒が捧げる献金。献金と言っても、いつ入るかわからない寄付金みたいなものではなく、いわゆる「十分の一献金」という、教会員が毎月捧げるものだ。これは教会員が多いと、莫大な額になり得る。
  もう一つは、教会が行う事業収入。保育事業や福祉事業、飲食業などが代表的だ。が、これを成り立たせるのは簡単なことではない。専門的な人材や資材など、しっかりした経営基盤が必要になる。それに、条件が揃っていてもうまくいくとは限らない。

 おそらく多くの教会は、献金収入がメインだろう。事業と言っても牧師が採算無視でやっている英会話教室とか音楽教室とかの、ささやかな副収入があるだけだと思う。事業としての体裁を整え、かつ実績も残しているという教会は、それほど多くはないのではないか。

 が、信徒が少なく、献金額も少ない教会が、立派なビジョンを掲げて事業に手を出すことがある。そういう教会はよくよく注意しなければならない。もちろん伝統も実績もある教会なら大丈夫だろうが、問題は「事業を始めたけれど思ったような実績があがらない」ときだ。

 牧師が教会で英会話教室を開くくらいなら、生徒が全然集まらなくても誰にも迷惑はかからない。が、何人かで株式会社など設立して勢いよく始めてしまうと、実績があがらないでは済まされない。簡単に赤字化し、給料不払いなどの状態に陥ってしまうからだ。

 実績が出ないなら辞めればいい、というのは真っ当な考え方だと思うが、そういう教会(あるいは牧師)ほど、辞めようとしない。何故なら祈って始めたことだし、「神に導かれている」と信じたいからだ。
 だから「今は苦しいが神様が助けて下さる」とか「給料がないのは信仰が試されているからだ」とか言い聞かせて、さらに頑張り、さらに被害を大きくしてしまう。そして彼らが期待しているような奇跡は、起こらない。

 そういう教会が実際にある。彼らは純粋な信仰で始めたかもしれないが、そうなってしまうと害毒でしかない。

 が、悲劇はそこで終わらない。何としても状況を改善させようと、教会をあげて祈ったり、礼拝のメッセージが事業の話ばかりだったりと、全ての教会活動がその事業の関連になりかねない。
 教会をやっているのか、事業をやっているのか、もはやわからない。

 立派なビジョンを成し遂げたかったのか、正直なところ赤字を改善したかっただけなのかわからないが、これが本末転倒なのは誰の目にも明らかだ。が、当事者たちにはそれがわからない、ということはよくある。

 お金のことばかり考えるのは良くないが、いい加減にしていいものでもない。でないとお金に振り回され、簡単に見えるものさえ見えなくなってしまう。




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