教育? マインドコントロール?

2013年7月12日金曜日

教育

t f B! P L
 ホームスクールを支援する民間団体のマガジンの最新号を読んだ。
 いろいろなホームスクーラーの体験記が載っているページで、大学生の子どもを持つ親の記事に目が留まった。
 その子は通信制大学に入学し、家庭で勉強を頑張っているという。何故通信制にしたのかわからないが、とにかく親は「安心した」そうだ。その理由は「家庭にいれば信仰を守れるから」というようなものだった。
 つまり全日制の大学に入れると、一般の生徒たちの悪影響を受けて子どもが信仰を捨ててしまう、と考えているらしかった。

 ホームスクールそのものは良くも悪くもないと思うが、どうもホームスクーラーにはそういう考え方が蔓延しているような気がする。可愛い子に旅をさせられないというか、過保護というか。その子の将来が、他人事ながら気になってしまった。
 それに一般の子たちを一方的に悪と決めつけているのも非常に気になった。

 確かに聖書は、「子どもたちによく教え込みなさい」と言っていて、親の教育の責任を強く示唆している。が、それは子どもを囲い込んで聖書漬けにすることではないだろう。もちろん聖書教育は大切だが、それと同じくらい大切なのは、子どもにある程度の選択の自由を与えることだ。そして子ども自身に考えさせ、失敗することや反省すること、他人と衝突することや和解すること等、広い世界でいろいろな体験をさせることだ。それが教育だと私は思う。

 もちろん選択の自由を与えた結果、子どもは何か不始末をしでかすこともあるだろう。が、それこそ親の出番というものだ。子どもを叱ったり助けたり、どうすべきか示唆したりするチャンスがそこにある。
 その過程で子どもとぶつかるかもしれない。結構ストレスなことだ。が、そういう時にこそ親として子にコミットすべきだ

 上記の親のように「家庭にいさせれば子どもの信仰は守れる」というのは、良く言えば「純粋培養」かもしれないが、「子どもとぶつかる」というコミットを放棄しているように思える。親として当然払うべき犠牲を払わないで済むよう、早くから子どもをコントロールしているような気がしてならない。

 多くのホームスクーラーの子たちが、ここ数年で高校生、大学生になっている。もう数年したら就職だ。その時彼らがどんな人物になっているか、どんな進路を歩むかで、この十余年のホームスクールの実がはっきりすると思う。ぜひ社会に良い影響を与えるクリスチャンであってほしい。が、親に囲われ続けた子たちがどんな大人になるか、正直不安だ

 社会に適応できないばかりか、その社会を見下して「神の働き人」とか自称するのだけはやめてほしい。
 もしそうなってしまうとしたら、それは本人たちの責任というより、親の責任だろう。そして彼らがしてきたのは教育というより、聖書を振りかざしたマインドコントロールみたいなものだろう。

追記)
 否定的なことを書いたけれど、ホームスクーラーの方々の日々の苦労や忍耐は、相当なものだと私は認めている。が、それだけに、その方向が間違っているとしたら非常に残念なことだと思っている。

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