チャーチスクールの理念について

2013年6月14日金曜日

教育

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■理念について

 どんな学校にも理念はあるだろうが、おそらくあまり気にされていない。入学式や卒業式の訓話の中で、少し触れられる程度だろう。
 私も、自分が通った学校の理念は覚えていない。と言うか、理念があったかどうかすら覚えていない。本当はそれではいけないのだろうが。

 だから母教会がチャーチスクールを始めた時、Mがスクールの理念の話ばかりするのに驚いた。彼は理念が一番大事だと言っていた。最初の数年間、教師や生徒や父兄が集まるところでは、Mは必ずスクールの理念について話していた。
 何故そこまで、と私は思っていたが、その部分においては彼が正しかったことが今はわかる。

 Mはいろいろ問題を起こしてくれたが、全てが間違っていた訳ではないと私は思っている。
 完璧に正しい人間がいないように、完璧に悪い人間というのもいないのではないだろうか。

 それはさておき、理念の大切さについて私なりに分析したい。

・理念の必要性
 それはスクールのゴールを決める。
 それはいろいろな人間を一つの方向に向かわせる。
 それは迷った時の道しるべとなる。

 という訳で、理念はあって損はない。と言うか、必要であろう。特に歴史の浅い、組織として未熟な「チャーチスクール」が健全な形をなし、公の信頼を得ていくには、ブレない理念を持ち、ブレない運営を地道にしていくしかない。

 理念の内容については、それぞれのスクールがよく考えていけばいいと思う。自分たちが向かうべきだと信じる道を、実現可能な形にしていけばいい。その理念に賛同する父兄が、自ずと集まってくる。

 問題は、理念が浸透していない状況にある。「船頭多くして船山に登る」という言葉の通り、教師や生徒や父兄がそれぞれ違うことを言い、違うところを目指すと、収拾がつかなくなる。特に教師は体感するだろうが、忙しかったり問題が多かったり、それぞれ頑張って苦労している割に、成果らしき成果が見られない。いったい何をやっているのだろうとどこかで感じつつ、それをやめることもできない。
 そういうようなことは実際起こっているし、どんなコミュニティでも起こり得る。

もちろん、そうなってしまう原因は、理念の浸透不全以外にもある。私の母教会のように、牧師の不祥事がスクールを崩壊させることもある。

 が、それでも、理念の浸透の重要性はまったく変わらない。

 一番問題なのは、運営側が理念の浸透に積極的でなかったり、理念そのものが曖昧だったり、不明確だったりすることだ。
 もしスクール理念を尋ねられた代表者がそれを即答できなかったとしたら、大問題だと私は思う。

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