チャーチスクールの教師について

2013年6月13日木曜日

教育

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■教師について
 チャーチスクールにとって学力は大きな課題だと、前回書いた。
 その替わりというのも変だが、チャーチスクールならではの「心の教育」があると期待されるかもしれない。
 教師が皆クリスチャンで、生徒が少人数だから、きっときめ細かい心のケアをしてくれる、という訳だ。
 それは基本的に間違っていない。が、それは大きな問題にもなり得る。

「心の教育」というのは、文字通り生徒の心に対するアプローチだ。
 それは多くの場合、カウンセリング的な手法になるだろう。普段の授業や様々な学校行事など、生徒の学校生活を間近で見る担任教師などが、個々の生徒の問題点を把握し、頃合いを見てその問題を取り扱っていく。

 通常のカウンセリングは、クライアント(相談者)が相談を持ち掛けて始まるものだ。が、この「心の教育」は、教師の方から切り込んでいくことが多くなる。生徒自身が消極的だったり、関わられるのを嫌がったり、自分の問題に気づいていなかったりするからだ。

 それ自体は、最近の公立学校でも見られる形態だ。スクールカウンセラーの登場もそれを表している。
 けれどチャーチスクールは「心の教育」にこそ存在意義があるようなものだから、どうしてもそこに力が入る。生徒のあれやこれやに心を配り、話しかけ、指導する。その動機は悪いものではないと思うが、過干渉なのは否めない

 子どももいろいろで一括りにはできないが、過干渉が良い結果を生むことは少ないと私は思う。愛情過多、指導過多の結果、プライドが高すぎたり、判断力がなさすぎたり、愛想だけは良かったりする傾向が強くなる。
 そういう子を見ると、公立学校でいろいろ悩んだり葛藤したりする機会があったら良かったのではないかと、思わずいられない。

 さらに深刻なのが、生徒に関わるのが限られた教師のみの場合だ。
 生徒は特定の教師とだけ四六時中過ごし、その教師の話だけを聞かされることになる。もちろん家で家族と話すし、他の教師や友人たちとも話す。だが、いろいろ楽しませてくれるだけでなく、自分のことを心配し指導し、いつも側にいてくれる担任教師の存在というものは、その子にとって相当大きい。それがカリスマ性のある教師ならなおさらだ。

 その状態が数年も続くと、子どもがどうなるか想像できるだろうか。
 その子はその教師の言うことしか聞かなくなる。
 両親がそれに気づいた時は、すでに手遅れになっている。

 それは極端な例でしょうと言うかもしれない。確かにそこまで異常だと、もはやチャーチスクールとも呼べないレベルかもしれない。が、それは私のチャーチスクールで実際に起こったことだ。

 これはチャーチスクールが根本的に孕んでいる危険性の一つだと、私は思っている。

・結論
「心の教育」が正しいケアなのか、過干渉なのか、判断するのは難しい。

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