「夫婦の危機」というものは、どんな夫婦にも訪れるのではないだろうか。少なくとも、クリスチャンだから危機はないということはない。現に離婚してしまったクリスチャン夫婦というのはたくさんいる。
だからクリスチャンかどうかに関係なく、その危機をどう乗り越えるかが、夫婦にとって最重要なポイントだと思う。
「ファイアーストーム」という邦題の、2009年のアメリカ映画がある(原題はFire Proof)。クリスチャンの映画会社(教会?)が制作した作品で、夫婦の危機と再生をテーマにしている。
消防士をしている夫ケイレブと、病院の広報をしている妻キャサリンは離婚の危機に瀕している。話せばケンカばかりで、溝は深まるばかりだ。いよいよ離婚の手続きを始めるとなった時、ケイレブの父が「離婚は40日待ってからにしてくれ」と頼む。彼がケイレブに送ったのは、「愛の挑戦」というノート。1日1つの課題が40日分書かれている。ケイレブは半信半疑のまま、その課題に取り組み始める、というストーリー。
既婚者には共感できる内容だと思う。夫婦の危機と、それをキリストの愛を実践することでどう克服していくか、という問題に真向から挑んでいるところが珍しい。
私が特にリアリティを感じたのは、2人が話せば話すほど深く傷つけ合ってしまうという点と、2人とも根本的にはそれを望んでいる訳ではない、という点だ。本当は衝突などしたくないけれど、どうしたらいいかわからない、というそれぞれの葛藤が、痛いほど伝わってくる。
これは簡単に言えば、それぞれの自己中心性の問題だろう。自分の理想通りにしたい、相手の理解しがたい部分は受け入れたくない、という態度がぶつかり合ってしまって、決して妥協できない。それが良くない態度だと薄々気づいているけれど、どうにもできない。
おそらく多くの夫婦が、同じ問題に苦しんでいると思う。そして多くが離婚に至ってしまうと思う。ケイレブとキャサリンも、父の助言がなかったらそうなっていた。
じゃあそうならないようにしよう、というのが自然な発想だろう。相手との違いを受け入れる柔軟な人格とか、自分を犠牲にできる人格とか、コミュニケーションのノウハウとかを身に着けてから結婚したらいいかもしれない。
が、私が思うに、こういった夫婦の衝突はどうしても避けられないのではないだろうか。いくら準備しても事前に話し合っていても、生身の人間どうし、感情的にぶつかり合うことはあるし、その衝突からくるストレスやダメージは、相当大きいものだ。
その衝突を経てなお和解できるかどうか、許し合えるかどうかが、夫婦の今後を決めるポイントであろう。残酷なようだが、それは事実だ。
自分たちだけで和解できればいいかもしれないが、おそらく多くのカップルには、ケイレブの父のような理解者、支援者が必要だろうと思う。
何度も書くが、結婚というのは素晴らしいものだ。が、それは自動的にはならない。そういう避けられない衝突と和解を経て、少しずつ、人間として成長し、夫婦として成長していく他ないように思う。
その意味で「夫婦の危機」とは必要悪であり、夫婦の成長に欠かせないステップであろう。
問題は、その最中はそういうふうに考えられない、ということかもしれない。