子どもを社会に出すのは危険なことなのか

2013年5月9日木曜日

教育

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 熱心なクリスチャンの方々の悩みの一つは、教会の中高生たちをどう育てるかだと思う。

 幼い頃から教会で育った子たちが、中高生になる。すると学校行事や部活を理由に、教会に来なくなる(来られなくなる)ことがある。同時に関心が外界に向くようになって、いわゆる「この世の楽しみ」に魅了されてしまい、下手すると教会から離れる…と、いうような話をよく聞く。

 そういう「この世の誘惑」から子どもたちを守らねば、という発想が、ホームスクール・チャーチスクール運動を後押ししたようにも思う。

 私はその発想に無条件に同意していた。が、それも思考停止状態だったと思う。
 人は盲目的であってはいけない。

 中高生の教会離れ現象は、たしかに現実に起こっているであろう。が、それは本当に学校だけのせいなのだろうか。
 文化系の部活だと週末に活動する方が珍しいし、全ての運動部が週末に活動する訳でもない。部活に入らない子もいる。

 それに、子どもたちにも判断力はある。どうしても野球をやりたい子は放っておいても野球部に入るだろうし、茶道が好きなら茶道部に入る。彼らなりに、3年間続けられるかどうか、その価値があるかどうか、よく考えて選んでいる。

 人は幼なくても高齢でも、自分にとって価値あるものを選ぶし、価値を見出さないものは選ばない。そして価値あるもののためなら、ある程度の犠牲も払う。

 もしどうしても日曜に礼拝したいと思ったら、そうできるようにするだろう
 トイレをどうにもガマンできなくなったら、何を置いても行くのと同じだ。

 中高生になって教会に来なくなるのは、本当は、学校や部活があって来れなくなったからではないと思う。そういう状況にしているのは自分だったり親だったりするからだ。「どうしても行けないんです」というのは、そもそも誰かが強制的に禁じているからではない(そうだとしたら犯罪だ)。

 もちろん中には、教会に行きたいけれどどうしても行けない、という状況はあるかもしれない。
 そういう子こそ、教会が助けるべきだと思う。何がなんでも日曜に礼拝しなければならない訳ではないのだから、平日にそういう時間を持ってあげればいいのではないだろうか。
 
 
 教会から離れるかどうかは別にして、子どもたちが教会外の広い世界に触れていくのは、良いことだと思う。みんなこの世界で生きていくのだから、その汚さも美しさも、醜さも素晴らしさも、知っていったらいいと思う。それで傷ついたとしても、それを知らず狭い世界で生き続けるよりは、ずっとマシだと私は思う。

 そうしてその子が、やっぱり神様はいる、だから礼拝すべきだ、という結論に自ら達したなら、それが本当の信仰というものではないだろうか。

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