ただ自虐的にそう言っているだけだろうと思ったが、その知人いわく、コンビニで働くというのは、一般的に底辺なのだそうだ。
私はそんなふうに考えたことがなかったので、驚いた。が、(少し調べてみただけだが)どうやら世間一般にそういう認識があるらしい。ショックだった。
コンビニでのバイトを底辺とする理由は、どうやら次のようなものらしい。
・最低賃金からスタートする時給
・誰にでもできる仕事
・社会貢献度が低い
他にもあるかもしれないが、とにかく上記のどれを見ても、何故「コンビニバイト=底辺」となるのかわからない。
なぜなら、最低賃金のバイトなんて他にもいくらでもあるだろうし、おそらく9割以上の仕事は、能力的には誰にでもできる類のものだからだ。
それにコンビニバイトが社会貢献できていないなら、ほとんどの社会人は貢献できていないのではないだろうか(そもそも、仕事で社会貢献する必要なんてないと思う)。
「たかがコンビニバイト」とバカにする人たちが一体どんな立派な仕事をしているのか、伺ってみたい。
期待を裏切らない答えであればいいのだが。
近所のコンビニで、ほとんど毎日、夜勤をしている男性たちがいる。
ある朝、帰り際の彼らの話が何となく聞こえてきた。それらを総合すると、どうやら彼らはフリーターで、趣味はネットゲームのようだ。年齢ははっきりわからないが、30代くらいかと思われる。
彼らのことを「就職もしないで何してる」と批判する人がいるかもしれないが、私は立派だと思っている。なぜならもう何年も、そこで働いているからだ。
働いた経験がある人ならわかるだろうが、年単位で同じ場所で働き続けるというのは、そんなに簡単なことではない。なぜなら仕事も人間関係も生活も、ある程度円滑にこなし続けなければならないからだ。そして、それができない人が多いからだ。
コンビニバイトとかフリーターとかを何故「底辺」と言うのだろうか。年収だろうか。労働内容だろうか。どんな仕事かよりも、まっとうに働き続けられるかどうかの方がよっぽど重要ではないだろうか。コンビニバイトというだけで底辺とか言うのは、ナンセンスだと私は思う。
近所のコンビニの彼らは、さほど不満を持って生きているようにも見えない。実際どんな暮らしなのかわからないが、日々の責任を果たしつつ趣味や生活を楽しんでいられるなら、何も責められることはないだろうと思う。
(もっとも、フリーターを続けるなら、社会保障や老後について真剣に考える必要があるとは思うが。)
「底辺」という言葉が使われる背景には、その反対の、「上辺」とでも言うべき立場に対する嫉妬や劣等感があるような気がする。
もちろん現代社会は平等ではない。いろいろな差別や格差がある。多くの人が、より良い社会や生活を願っているだろう。
が、ある人たちを指差して「底辺だ」とバカにする人たちこそが、その実現を邪魔する大きな原因だと私は思っている。
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