歯止めのきかない拡大志向の恐怖

2013年5月24日金曜日

雑記

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「僕は上昇志向が強い」とMはよく言っていた。
 そのせいか、私は「上昇志向」という言葉が嫌いだ。

 もちろん、上昇志向そのものは悪くない。
 より高い次元を目指すことは、決して悪いことではない。
 教育の手法としても、容易な目標でなく少し背伸びしないと達成できない目標を与えた方が、成長率が高いと聞く。
 が、その状態が長く続くとしたら、話は別だ。

 Mの事業の歴史を見てみよう。
 2001年、チャーチスクール開校。
 2007年、神学部開校。
 2009年、「祈りの家」開始。
 2010年、NPO法人取得。
 2011年、東日本大震災の被災地支援開始。
 2012年、テレビ局開局に乗り出す(が、4月に不正がバレて失踪)。
 

 Mのそれは、上昇志向というより、拡大志向と言った方がいいような気がする。

 2010年から、彼の異常さが如実に現れはじめた。
 この年に「祈りの家」が本格始動したが、同時にスポーツ教室、楽器教室、カフェ、デイサービス、就労支援事業を次々と興した。
 が、スタッフの数はほとんど増えていない。ではどうやって回したかというと、スタッフに兼任させたのだ。チャーチスクールで奉仕し、スポーツ教室でも教え、楽器教室でも教え、カフェ店員もやり、「祈りの家」でも奉仕する。そしてそういう状態のまま、2011年3月からの被災地支援活動に狩り出された。

 他のスタッフがどう感じていたかわからないが、私は非常にストレスだった。働きたくなかったからではない。何一つ、じっくり取り組めなかったからだ
 Mの「これもやろう、それもやろう、あれもやりたい」に延々と振り回され、どんどん増えていく異業種の事業に、自分自身を分散させていくしかなかった。
 結果、どれも中途半端だった。

 が、Mは「どの分野もプロを目指せ」とよく言っていた。しかしそんな分散された時間でプロになろうなんて、プロの方に失礼だ。一つのことに多くの時間を費やし、何年もかかって修練するのが筋道というものだろう。
 それでもMは、「祈りと聖霊の満たしによって、私たちは不可能を可能にしていく」とか、もはや精神論な主張を繰り返すばかりだった。

 やり方は悪かったかもしれないが、結果が良ければいいじゃないか、と言う人もいるかもしれない。
 しかし残念ながら、何一つ結果を残せていない。スポーツ教室も楽器教室もカフェも、結局回せなくなって消滅した。デイサービスなどは指定を取っただけで、まったく手つかずのままだ。テレビ局は名刺とホームページがあるだけで、実態のない幽霊会社。もはや詐欺のレベルだろう。

 Mという人間は、次々とオモチャを変えたがる子どもみたいなものだったような気がする。

 それは見た目は拡大志向かもしれないが、一つ増やす度に既存の一つを壊してしまう、まったく意味のない拡大モドキだ。

 そういう歯止めのきかない拡大志向は、もはや人格障害のレベルだろう。
 そしてそういう人間がリーダーであることが、そもそもの間違いだったと私は思っている。
 リーダーの責任は重い。非常に。

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