ある教会の牧師に、数年ぶりに会った。
最初に出会ったのが15年くらい前で、以降数年に1回くらい、何かの機会に顔を合わせている。毎回じっくり話せる訳ではないが、彼はいつも変わらない。親切で、思慮深い。
その教会運営を一度見てみたいと思っているが、今のところそういう機会はない。
その彼が話の中で、牧師の苦労みたいなものに触れていた。それが私の印象に残っている。
彼は教会の信徒の問題が大変で、心が騒いで夜眠れないことがあるという。どんな問題なのかわからないが、そういう時は睡眠薬をのんで眠るようにしているそうだ。
大変だなと思った。
「牧師」業が一般的に睡眠薬を必要とする業種なのか、あるいは彼がそういうタイプなのか、わからない。が、そういう牧師の話はよく聞く。知り合いの牧師にも、ノイローゼになった人や、体を壊して休業した人も少なくない。
睡眠薬なしにできない仕事というのを、どう捉えたらいいのだろうか。
もしかしたら要職についた政治家とか、重要な取引を控えたビジネスマンとか、学級崩壊したクラスの担任とかは、睡眠薬が必要かもしれない。が、それが恒常的に続くとしたら、何かが根本的に間違っているような気がする。あるいはこの社会機構そのものが、そういう犠牲を必要としているのかもしれない。
私は牧師をしたことはないが、20年ほど牧師のそばで仕え、その働きを見てきた。人の人生を背負う大変な仕事だなと感心していた。が、睡眠薬をのまなければ続けられないほど、他人の人生を背負い込むべきなのだろうかと今は疑問に思うところもある。
人の人生に介入して援助することは、時として必要になるだろう。が、それが恒常化して牧師への依存なしに生きられない人間を作るとしたら、本末転倒ではないか。そのために牧師が健康を害すのも良くない。
人を導く立場にある牧師であるからこそ、自身の健康には人一倍注意してほしいと、その牧師の話を聞いて思った。
補足)
牧師の職責範囲は教団教派によっていろいろだろうから、上記の話などまったく関係ないという牧師もいると思う。
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