「支配」は人を狂わせる ―横浜女児死体遺棄事件に思うこと

2013年4月25日木曜日

雑記

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 7歳女児の死体遺棄事件が、大々的に報道された。
 加害者は30歳の母親と、その交際相手。継続的な虐待の末の、暴行死だったという。病院にも連れて行かず一晩放置した上、遺体を捨てた。

 本当に痛ましい。加害者を含め、誰もそのような結末を望んではいなかったはずだ。
 

 原因はよくわからないが、単に親として未熟だったとか、無責任だったとか、そういう個人の問題として終わらせるのもどうかと思う。なぜなら同じような事件が無数に起きているからだ。まだ顕在していない、事件ギリギリの状況だって相当数あるかもしれない。

 母親の供述は、交際相手に暴力を振るわれていて逆らえなかった、というもの。いわゆるDV被害に遭っていたという。
 逆に男性は、代わりに叱ってくれと頼まれて叱っていた、それが度が過ぎてしまった、という。
 相反する供述で、残念ながら、どちらかが相手に責任転嫁しようとしているようだ。あるいは互いにかもしれない。

 この加害者に対する批判がtwitter等で多く寄せられている。中には死刑だとか許せないとか、感情的なものもある。当然の反応かもしれない。

 しかし私は、この母親の「暴力を振るわれていて逆らえなかった」という発言が本当だとしたら、安易に責めることもできないと思った。
 なぜならDV被害に遭って支配され、本当に追い詰められてしまうと、理屈も常識も通じなくなってしまうからだ。

 知り合いの女性に、夫からのDVを長年受け続けてきた方がいた。
 残念ながら、周囲がそれに気づいたのは相当ひどい状況になってからだった。
 その女性は末期症状だったのだろう。初めは助けを求めていたが、周囲が対処しようとすると、態度を一変、かえって夫をかばい、必死で守ろうとしはじめた。

 ちょうどそれが発覚した時、夫は海外出張中だった。女性を逃がすには今しかなかった。彼女の実家の両親も兄弟も、早く彼女を送ってくれと懇願していた。私たちは飛行機を手配し、空港までの車も準備した。
 しかし出発する朝、彼女は土壇場になって「やっぱりあの人には私が必要だ」と言い始めて車に乗ろうとしなかった。私たちはいろいろ言って説得しようとしたが、最後は半ば強引に車に乗せなければならなかった。が、彼女は発進した車からも降りようとした。すったもんだの末、彼女がようやく落ち着いたのは飛行機に乗せられてからだった。

 傍から見たら、私たちは誘拐犯のようだったかもしれない。何もそこまで、と思われるかもしれない。が、彼女の痛々しい暴力の跡と、夫の名前を聞くだけで恐れおののいて取り乱すその姿とを目の当たりにしたら、絶対に夫のもとに返してはいけないとわかるはずだ。

 夫に暴力を振るわれて恐ろしい、痛い、怖い、という感情はもちろんあるが、それと同じくらい、夫を支えなければならない、味方してあげなければならない、という感情もある。DV加害者と被害者は、そういう相反する共依存関係でつながれ、不可逆的な支配・被支配の関係に陥る。

 そして、そうやって支配された者は、支配者に逆らうことなどできない。勇気を出せとか立ち上がれとか子どものためだとか、そういう精神論は何の役にも立たない。

 まったく理屈が通らないけれど、そうなのだ。私はその理不尽を実際に見た者として、そう証言しなければならない。

 今回の事件の母親が、その女性と重なって見えた。
 もちろん供述の信ぴょう性の問題はあるが、もし彼女がDV被害者だとしたら、やはり正常な判断はできなかっただろうと思う。
 子どもが可哀想だろとか、それでも母親かとか、いろいろ批判するのは簡単だ。もちろん犠牲となった子どもが一番哀れだ。が、その親が抱えていた苦悩や痛みに目を向けない限り、このような事件は今後も続くのではないかと思う。
 

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