人はどうやって成長するのか

2013年4月1日月曜日

生き方について思うこと

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 この記事は成長について、「一定量の学習=成長」と定義している。確かに学習によって「できないことができるようになる」のは成長だと思う。

 が、私が「成長」と聞いてすぐ思いつくのは、人格面の成熟である。これは学習量がどう絡むのか、いまいち判然としないのではないか。

 例えば私には姉がいるが、幼い頃、何をやっても姉に勝つことができなかった。オセロも将棋も駆けっこも全戦全敗。悔しくて腹立たしくて、よく泣いた。
 では今でも私が負けて泣くかというと、泣かない。それは、忍耐力がついたからだろうし、「負けることもあるさ」と考えられるようになったからだろう。この場合、私は人格的に成長したと言えるだろうが、どれだけ学習したのか、よくわからない。

 もう一つ例を挙げると、私は若い頃、子どもの泣き声が嫌いだった。電車の中で延々と泣かれてよくイラついたものだ。が、自分に子どもができるとイラつかなくなった。赤ん坊は泣くものだし、どうしても泣き止まないこともあると知ったからだ。
 この場合、私は寛容さを得たことになる。人格的な成長だろう。単純にある事実に気づいただけなのだが。

 という訳で、人は学習によるスキル的な成長もするだろうが、何かの経験やキッカケで、人格的な成熟もしていくのだと思う。
 どちらが大事か選ぶとしたら、私は後者だと思う。

 銀行のATMが混んでいる時、並んでいる老人が「早くしろよ!」と怒鳴り散らす場面に遭遇することがある。何か特別な事情があるのかもしれない。が、それにしてもあまりに未成熟ではないか。少しは他人の事情を考慮すべきだと思う。
 そういう人が実はすごいスキルを持っていて、バリバリ仕事ができるとしても、私はお近づきになりたくない。

「督促OL修行日記」という本が話題になった。新卒で債権回収部署に回された女子が、凄惨な職場でいかに「スゴ腕」と呼ばれるまでになったかを綴った本だ。
 本人はユーモアを交えて書いているが、そのストレスやプレッシャーは、私の想像をはるかに越えていると思う。誰にでもできる経験では決してない。が、彼女はそこで、他では得難い成長を遂げたはずだ。そしてその成長には、人格的な部分も少なくなかったはずだ。

 彼女のことは全然知らないが、もし質問できるなら、「債権回収の仕事ができて良かったですか、それとも後悔していますか」と尋ねてみたい。
 これは私の想像だが、きっと「良かった」と答えるのではないだろうか。

 苦しんだり悩んだりするのを勧めるつもりはない。避けられるのなら、私だって避ける。
 が、それを通してでしか得られないものがあるのは事実だ。
 


 

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