「4割の会社員は迷惑メールより同僚の方が邪魔な存在だと感じている」
この記事に納得するところがある。
迷惑メールの処理に毎日1時間以上かかるが、同僚との世間話にはそれ以上の時間がかかっている、ということだ。
仮に世間話を2時間と見積もると、毎日3時間、ちゃんと仕事をしていないことになる。
脱社畜ブログに「まともに働いている人は全体の2割くらいだ」という記事があるが、通ずるものがある。
では残りの5時間は全て働いているかと言うと、私にはそれも疑問である。「それは本当に必要なのか」と思うことに延々と時間を費やす人が、私の周りにもいるからだ。
もちろん仕事の種類は様々だから、一括りにはできない。
例えば病院の手術室では、10時間以上かかる手術というのもある。スタッフは交替などしない。その場合、
手術時間+前後のいろいろ=勤務時間
となる。その間メールチェックどころか、トイレさえ行けるかどうかわからない。そんな彼らは勤務時間の100%を労働に捧げていると言えるかもしれない。
しかしおそらく、それは特殊なケースだ。
私は事務仕事をしていた時期もある。
やってみて驚いたのは、その日に終えた仕事を考えてみて「え、これだけ?」と思うことが多かったことだ。
取引先と話したり、顧客と話したりで一日の大半を費やしたこともある。いろいろ書類をまとめることもあったが、決して効率的ではなかったような気がする。
そしてそれが私だけかと言うと、そうでもなく、案外みんなそうなのだ。ある神経質な同僚などは、別の社員がまとめた書類を、字が汚いだの文章が悪いだのとケチをつけて、もう一度自分で書き直している。またある同僚はエクセルでマクロを使っているが、動作が気に入らないとかで、一日中同じようなところを書き直している。
面倒な仕事がくると、忙しい振りをして他人に押し付ける人もいる(お前、一番暇だろ!)。
「その仕事、本当に必要?」
おそらく誰もがそう思っているが、誰も何も言わない。
多くの人が、そこまで極端でなくても、自分の仕事の必要性に疑問を感じているからではないだろうか。
私自身、事務仕事に転職して初めて給料をもらった時、「こんなんでいいのだろうか」と感じてしまった(こう書くと事務仕事が悪いと言っているようだが、そういう意図はない)。
就活や転活のサイトを見ると、「やりがい」とか「自己実現」とかいう言葉が大々的に書かれている。が、いったいどれだけの人が、それらを本気で求めているだろうか。
何であれ勤務時間を職場で過ごし、それで給料をもらって良しとする。そういう人が多いような気がする。
それはそれで、べつに悪いことではない。
私は現在、諸事情あって非常勤で働いている。忙しい時間帯だけ働き、終われば早々に帰る。暇な時間はない。
勤務時間の大半は労働に捧げているので、給料をもらう時、後ろめたく感じることがない。
それが正しいとか、そうすべきだとか、そんなふうには思わない。
ただ、私はそういう働き方を選んだ、というだけのことだ。
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