幸福は得るものでなく、気づくと持っているものだ

2013年3月23日土曜日

生き方について思うこと

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なぜ目標にまっすぐ向かわない人のほうが目標を達成できるのか?

 この記事の「幸福」に関する記述が面白い。
 幸福とは、それそのものを追い求めても得ることができない。しかし他の何かの目標に集中している時、その人は幸福なのだ、と。

 確かに、幸福は得ようと思って得られるものではないかもしれない。

 例えば金持ちになれば、結婚すれば、家を建てれば、昇進すれば、今より幸福になれる気がする。しかしそれらの「れば」が叶うと、また別の「れば」が出てくるのはないか。金持ちというのも曖昧で、資産がいくらあればいいのかわからない。庶民の感覚で言えば一億円もあれば十分な気がするが、きっと一億円手にしたら、もう一億円欲しくなる。結婚などは、結婚した後の方が重要だということを既婚者なら皆知っている。

 幸福とは到達点ではなく、いつの間にか経過しているものではないだろうか。

 実は私は、ある障害を抱えている。そのせいで長年苦しみ、葛藤し、涙してきた。なんとか克服したいともがいてきたが、克服などハナから不可能である。
 では私の人生の全てが不幸だったかというと、そうでもない。
 障害を忘れて楽しんだこともたくさんあるし、幸せを感じたこともたくさんある。「あ、今って幸せじゃん」と不意に気づくこともある。

 自分の障害に対する見方も、子どもの頃に比べてずいぶん変わった。子どもの頃は「何とか克服しなければならない」という強迫観念にとらわれていた。しかし少しずつ、「あるがままを受け入れるしかないし、その方が楽だ」と思えるようになってきた。
 ずいぶん苦しんだし、今も続いているけれど、この心境の変化は私にとって救いだ。

 この変化は私にとって、筆者の言う「回り道のアプローチ」と同じようなものだったと思う。

 苦しむことを推奨するつもりはない。精神論や根性論を私は好まない。
 しかし避けられない苦しみを通してのみ、開ける視界というものがあるのも確かだ。

 そこを通る人は、もっと多くの幸福を感じられるようになるのではないかと私は思う。

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