社会人も100点でなくていい

2013年3月22日金曜日

生き方について思うこと

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「学生は80点とっても褒められるが、社会人は100点とって当たり前だ」
 営業職の人と話すと、よくそんなセリフを聞く。一理あると思うが、どうもしっくりこない。
 学生時代どれだけ頑張っても100点とれなかった人が、就職したら100点とれるようになるとも思えない。

 ここで言う100点とは、「完璧な仕事」を意味するらしい。この「完璧」というのが気になる。

 書類を作る、製品を作る、商談をまとめる、管理する、何かを改善する等、仕事の種類は無数にある。が、それらの仕事は何をもって完璧とされるのだろうか。

 もちろん簡単な書類作成とかなら、完璧かどうか可視化しやすい。締切までに、過不足なく内容をまとめ、誤字脱字もなく、指定の形式で提出できれば、それは100点かもしれない。

 しかし例えば、心停止した患者の蘇生を試みる場合、救急救命のスタッフ全員が最善を尽くし、一切ミスがなかったとしても、蘇生できないことがある。その場合「仕事は完璧でした」と言えるだろうか。たとえば心臓マッサージのペースが少し違っていたら救命できたかもしれないし、電気ショックの電圧やタイミングが違っていたら救命できたかもしれない。
「そんな偶然性まで計算できない」と言うだろうが、点数をつけるなら0点だ。少なくとも遺族にとってはそうだ。

 これを先ほどの書類作成の例に当てはめてみる。
 例えばそれが企画書だとする。書類は完璧にできた。しかしその企画は通らなかった。すると、その仕事は結局0点になるのではないか。

 この「社会人なら100点とって当たり前」を使う人々は、何をもって100点と判断するのだろうか。

 私の周囲にこれを言う人間がいないから何とも言えないが、どうも主観的なもののように思える。それも仕事内容というより、気配りやら礼儀やらができていない部下をいじめたいだけのようにも思える。
「社会人ならこれくらいできて当然」という基準が自分の中にあって、それを完璧に満たせば100点というふうに、部下に一方的に自分の基準を押し付けているだけではないだろうか。

 仕事には成功も失敗もあるだろうし、成功にも質や量があるだろうし、失敗にも次につながる失敗もあるだろうから、そもそも「100点の仕事」という概念は成り立たないと思う。

 つまり「100点とって当たり前」の100点というのは、その上司にとって100点というだけのことだ。そんな採点なんか必要ないし、当てにもならない。

 自分が働く価値を見出してさえいるなら、それに誠実に取り組んでいけばいい。

「辞めるか辞めないか」

 この記事を読んでみて、そんなことを思ってみた。
 もちろんこの投稿者の方には、何の役にも立たないだろうが。

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