一日に何度も礼拝しなければならないのか

2013年3月20日水曜日

キリスト教問題

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 日本のプロテスタント教会の多くが、毎週日曜に礼拝をしている。
 教会によっては午前と午後で2回礼拝したり、あるいは3回礼拝したり、諸事情あるだろう。

 私の教会は、多い時期で1日3回礼拝していた。私はスタッフだったので、当然のように全ての礼拝に出席していた。だから日曜日は、家族そろって朝から晩まで教会にいた。

 私の教会は昨年8月に解散になった。その後しばらくの放浪期間を経て、今は伝統的なプロテスタント教会に通っている。そこも午前と午後で1回ずつ礼拝している。私は週によって午前に出席したり、午後に出席したり、いろいろだ。
 
 そこに何週間か通い、気になったのは、午前と午後の両方に出席している人が多いということだ。確認したが、強制的ではないという(当たり前だ)。
 それで、自分の今までの姿を思い出させられた。そういえば自分も同じだったと。

 私の教会で日に3度礼拝があった時、正直言うと、私は全ての礼拝に出席したいとは思っていなかった。
 ではなぜ出席したのか。考えるといくつか理由がある。
①不信仰に思われたくなかった。
②M牧師に何と言われるか心配だった。
③「敬虔なスタッフ」のイメージを崩したくなかった。
④コミュニティが出来上がっていて、外れることがためらわれた。

 神様と全然関係ない理由である。
 恥ずかしながら、事実である。

 聖書は礼拝について、日曜日に捧げなさいとは言っていない。
「安息日を聖としなさい」という言葉があるが、ユダヤ人の安息日は土曜日である。日曜日はイエス・キリストの復活の日で、それを記念して礼拝するようになったという歴史がある。
 また、週に一回とも言っていない。「使徒の働き」には毎日礼拝していたという記述がある。また、ユダヤ人の慣習として日に何度か定時に礼拝していたようでもある。

 ここで注意したいのは、聖書は礼拝の曜日も、場所も、回数も、形式も一切指定していないということだ。つまり、礼拝は自由に捧げていいものなのだ。

 前述の、一日中教会にいて何度も礼拝するから特別に敬虔なのでもないし、一度しか礼拝しないから不信仰なのでもない。神様はそのことで優劣を付けない。優劣を付けたがるのは人間だけだ。

 自分が教会に礼拝しに行く理由は、いつも吟味しなければならないと思う。
「出席しなければ〜と思われる」という思いがあるとしたら、それは神様を喜ばせるものではないから。

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