いつまで子どもを囲い続けるのか

2013年3月19日火曜日

キリスト教問題

t f B! P L
ホームスクールを支援する団体が、いくつかある。

その中のある団体は、主に中高生の学習をサポートをしている。中学高校は勉強内容が高度になるため、ホームスクールといっても両親が教えるには限度がある。だから週に何度か、塾のような形でその団体がサポートするのだ(単純に塾に行かせればいいと思うのだが、やはりホームスクールに携わっているクリスチャンに教えてほしいらしい)。

そんな彼らのところに来る子たちの一部は、一般の大学に進学しようと頑張っているという。
ホームスクールで育った子たちが、一般の大学で活躍するのは良いことだと思う。彼らが立派に育った姿を見せることが、ホームスクールの存在意義を証明する一番の方法でもあるからだ。

しかし、その団体のスタッフの話を聞いて驚いたことがある。
大学を作ることを考えている、というのだ。もちろん、普通の大学ではない。ホームスクーラーが安心して進学できる、クリスチャンのための大学という意味だ。

日本でホームスクール、チャーチスクールが広がり始めたのは十数年前。当時小学生だった彼らの子たちはちょうど高校生、大学生になっている。
小学生のうちは大きな問題もなくホームスクールができたかもしれない。しかし中学、高校になっても家や教会の中で過ごさせ、今度は大学生活も自分たちの囲いの中で過ごさせようというのだ。

いつまで、子どもたちを囲い続けるのだろうか。

大学を用意したら、今度は就職先まで用意するのだろうか。

もしそうだとしたら、その子たちはいつ、親や教会から自立できるのだろう。
「この世は汚れている」と教えられ続け、一般社会の良さも悪さも何も知らないまま大人になってしまったら、もはや社会に出て行けなくなってしまうのではないだろうか。

それを聖書教育と言うのは違うと私は思う。
健全な聖書教育には「宣教」の要素が不可欠だ。この世の中に広く出て行って、聖書のメッセージを正しく伝えるのがクリスチャンの使命だからだ。それをできなくさせる教育は、少なくとも聖書教育とは言わない。

かつてオウム真理教は「サティアン」と称する訓練施設を作り、そこで信者の大人も子どもも宗教教育に漬からせていたという。それと同じ原理をここに感じてしまうのは、私だけだろうか。

「可愛い子には旅をさせよ」とはよく言ったものだ。子を心配する親の気持ちはよくわかるが、子を信頼し、野に放してみるのも親の務めだと思う。
子は想像以上にたくましいし、ほとんどの親は、彼らより永くは生きられないのだから。

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