邦題「ディヴァイド」(2012年)
舞台はニューヨーク。核戦争後の終末的世界。地下シェルターで難を逃れた9名の、絶望的な日々を描く。
と書くと、とっても期待できそうである。確かに、この映画を簡単に紹介しようとしたら、上記のような文章になるだろう。予告編もそのような作りになっている。
しかし実際は、「監禁された人間たちが陥る狂気」を描いている。
核戦争とか地下シェルターとかは偶有性であり、絶対条件ではない。本質は狂気による人間性の崩壊にある。
しかし、偶有性の方が目を引くので、観た人からすると「だまされた」と感じると思う。
■あらすじ
それでも、前半は良い。
核攻撃の最中から映画が始まり、人々はパニクりながら逃げる。地下室に何人かが逃げ込み、重い扉が閉じられる。
地下室はシェルター的な機能があり、しばらくは生きられそう。しかし安心する間もなく、武装した防護服の連中が入ってくる。そして唯一の子どもを連れ去っていく。まったく訳がわからない。それでも管理人たち男性陣が反撃し、何人かを殺害。
今度は外の様子を確認するため、奪った防護服を着て外に出る……。
まさに核戦争後の黙示録的な世界が展開していきそうで期待させられる。しかし、盛り上がるのは以上である。
あとは前述した「監禁され狂っていく」くだりが長々と続く。
私はこのあたりから早送りで観たが、筋を掴むのは問題なかった。核戦争とか全然関係ない世界である。
逆にこういう心理モノが好きな人には良いかもしれない。
理性派と思われていた人物が狂気に走ったり、偏屈でとっつきにくい人物が最後までマトモだったりと、なかなかリアルではないかと思う。
■主人公の心理
興味深いところを強いて挙げるなら、主人公の心理を読むことであった。
冒頭、主人公は攻撃を受ける街を眺めている。
あくまで「眺めている」のだ。その表情には驚きとか、恐怖とかが見られない。茫然自失でもない。何が起こっているのか把握したうえで、ただ眺めているだけだ。逃げようともしない。
このワンシーンから、主人公が普通でない、謎めいた存在に感じられる。
その後の閉鎖環境ではほとんど発言がなく、目立たない。
武装者たちから逃げるなど、一応生存本能があるのはわかったが。
子どもを除く生存者たち8名は、理性派と逸脱派に分かれてく。主人公は理性派に属するように見えるが、私には、どちらでもないように思えた。言動や行動は良心的だが、誰かを信頼しているわけではない。何か影というか、秘めたものがある。
だから主人公に共感し、応援することもできない。
この映画の面白さはそこにあるのかもしれない。つまり観客として、登場人物の誰を信用していいのかわからず、ずっと不安なまま観なければならないのだ。
最後の最後は一応の盛り上がりを見せる。
ネタバレになるが、主人公は逸脱派も理性派も全員見捨ててシェルターを脱出する。
防護服を着こみ、廃墟と化した灰色の世界を一人歩く。
このへんのビジュアルはとても良い。
私が注目したのは、その表情である。
何か「覚悟」のようなものがある。
冒頭、核攻撃を見つめる主人公にはないものだ。
完全に私的な解釈だが、主人公はそれまでの人生において、生きる意味を見出していなかったのではないか。だから攻撃される街を見ても、特に関心を示さなかった。しかしシェルターでの絶望的な日々を通して、逆に、生に対する強い意思を得た。何がなんでも生き抜く、という意思を。
そう考えると、主人公にとって冒頭の文明社会は「絶望」、結末の廃墟は「希望」ということができるのかもしれない。
まったく先の見えない、暗く静かな「希望」であるが。
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