「悪霊」を強調すると見えなくなるもの

2024年10月4日金曜日

「悪霊」に関する問題

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 母教会の最寄り駅はかつて飛び込みで有名だった。牧師は「自殺の霊に脅かされている」と言っていた。駅を利用する人々を絶望に誘い、飛び込みたくなるように巧妙に働きかけているのだ、と。

 しかし一般のメディアに取り上げられた結果、「ホームドアがなく、停まらない急行電車がホーム側を走る、数少ない駅だから」という論理的な分析がなされた。そのうちホームドアが設置され、飛び込み自体なくなって、その分析の正しさが証明された(牧師の誤りも証明された)。

 それでも牧師が謝罪したり訂正したりすることはなかった。むしろ「祈りの結果、ホームドアが設置されるように主が働かれたのだ」と、あたかも自分の手柄であるかのように説明していた。「自殺の霊」はどこに行ったのだろうか。

 要は「言った物勝ち」なのだ。ネガティブな出来事や現象であれば、何であれ「悪霊の働き」だと言う。それがなかなか解決されなければ「それだけ強力な悪霊なのだ(だからもっと祈らなければならないのだ)」と言う。それを否定する人間のことは「不信仰」だと言う。「悪霊の不在」を証明できないのを良いことに、言いたい放題だ。

 しかしそれを言うなら、「悪霊の存在」だって証明できないのだけれど。

 あちこちで書いてきたが、「悪霊」を強調し、様々な出来事(特に悪い出来事)の背後に「悪霊」を見出そうとするのは危険だ。それは第一に、人間が本来持っている「悪」を曖昧にする。第二に、原因が「悪霊」である限りその現象はほぼ解決不可能になる。

 実際には人間の「悪」が悪い出来事を引き起こしていることが多い。だから人間が現実的な方法でそれを解決しなければならない。「祈り」では解決できない。例えば希死念慮を持つ人を救い得るのは「祈り」でなく現実的な治療だ。飢えている人を救うのは「祈り」でなく食糧だ。あなたはトイレを我慢できない時に「膀胱を拡大して下さい」などと祈るだろうか。

 「悪霊」を強調すると、ごく簡単な事実さえ見えなくなってしまう。「悪霊」でなく現実を見て生きてほしい。

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