サタンアタックと信教の自由と不自由

2022年8月4日木曜日

「悪霊」の問題

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  物事が上手く行かなかったり、調子が悪かったり、気分が落ち込んだりするたびに「サタンアタックがすごい」とか言うクリスチャンがいますが、慢性疾患や精神疾患でほぼ毎日調子が悪い人のことを考えなさすぎではないでしょうか。そんな独りよがりな信仰なら持たない方が、平和で良いと思います。

 「(自分にとって)良いことは神の恵み」「(自分にとって)都合の悪いことは悪魔の攻撃」と考えるのは短絡的です。あなたにとって「都合の悪いこと」は、他の誰かにとって「都合の良いこと」かもしれません。『塞翁が馬』という故事成語をご存知でしょうか。中学か高校の古文で習うと思いますが、一見良いことが悪い結果に繋がったり、一見悪いことが良い結果に繋がったりする、というお話です。何が「神の働き」か、何が「悪魔の働き」か、は安易に決められません(悪魔が文字通り存在するなら、の話ですが)。

 コヘレトの言葉3章11節を読んで下さい。「人は神のわざを見極めることはできない」と書いてあります。なのになぜ「これは神のわざだ」「あれは悪魔の攻撃だ」と決めてしまうのでしょうか。

 病気や障害は「信仰不足」のせいではありません。物事が上手く行かないのは「お祈り不足」のせいではありません。気分が落ち込んだり不安定だったりするのは「悪魔の攻撃」のせいではありません。そういう決めつけは不遜なだけでなく、宗教を利用した脅し、暴力になり得ます。

 信仰は一般に「神聖」や「敬虔」なイメージがあるかもしれませんが、それが他者に向けられる時、ものすごい暴力に変貌することがあります。不特定多数が見るSNSで、例えば「病気は不信仰のせい」とか「調子が悪いのはサタンアタックのせい」とか平気で言うのがまさにそれです。本人は無自覚かもしれませんが、苦しむ人をさらに苦しめています。有害でしかありません。

 以下に「独りよがりで有害な信仰」の被害に遭った方々のケースを挙げます。

Aさん
 祖母が熱心な仏教徒だったって言ったら「ああ、神様許してください。Aさんのおばあさんは間違った信仰のせいで地獄に落ちました。でもAさんは関係ないんです。Aさんを救って下さい」と目の前で祈られたことがあって、とんでもなく不愉快だった。

Bさん
 私もまさに「うつ病はサタンにやられてる」と何人もから言われ、あるクリスチャンからは「薬飲むのやめなよ」とまで言われました。 私の命、責任持ってくれるんか? 信仰という名の暴力……。

Cさん
 特殊なサイクルで働いてるので日曜日が休みになることがあまりないって言ったら、「祈れば与えられます」って言われてなんかそうじゃねえんだな……ってなった。

 何を信仰するかはその人の自由ですが、それを他者に押し付ける自由はありません。「自分はこう信じる」で留めて下さい。憲法で定められた「信教の自由」とは、自分の信仰の自由であると同時に、他者の信仰(無信仰)の自由です。「クリスチャンならこう信じるべき」「こう信じないならクリスチャンとは認めない」などと言う権利はありません。

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