それは本当に成長のためですか?

2021年3月23日火曜日

「弟子訓練」の問題

t f B! P L

 「成長するために人生に負荷をかけるべき」という信念を持った、チャレンジングな人がいます。

 負荷といっても筋トレで使うウェイトだけでなく、あえて仕事を増やすとか、苦手なことに挑戦するとか、そういったのも含めた負荷です。重いウェイトで筋トレをすればそれだけ筋肉が増えるように、難しいことや辛いことにぶつかって努力すればそれだけ人間的にも成長できる、というわけです。


 その姿勢は大したものですが、耐えられる負荷はみんな違います。ストレス耐性は個人差が大きいです。それに負荷だけが成長の方法でもないはずですから、過度な一般化はやめた方がいいです。下手すると根性論や精神論の押し付けにしかなりません。


 キリスト教会も教派によって「成長(霊的成長?)」を過度に強調し、「弟子訓練」等の名の下に、長時間の奉仕を信者に強要することがあります。これも要は「負荷をかけないと成長しない」と考えるからです。しかし実態は、リーダーが信者をイジメて萎縮させる類のものでしかありません。「奉仕の強要=必要な負荷」「リーダーに従うこと=霊的成長」と勘違いしているのです。


 それに「成長のために負荷をかける(訓練する)」という名目で信者に過度な要求をし、反対意見を潰していくと、いずれリーダーのイエスマンだけで構成された組織になります。自ら考えない人々の集まりは自浄作用を持たず、外面は綺麗でも、中身は腐っています。そのどこが「成長」なのでしょうか。わたしには衰退にしか見えません。


 「成長」の名の下に虐待されている全ての人に、何らかの形でこのメッセージが届きますように。

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