信仰の話をしてる時に「あなたは本当に(そんな考え方で)神様を信じてるんですか?」と言われたことがあります。その時は驚いてしまってうまく反応できませんでしたが、相当失礼な言い方だなと今は思います(その場で怒っても良かったと思います)。
キリスト教プロテスタントは中でいろいろな教派に分かれていて、それぞれ違った教義理解や聖書解釈をしています。相当かけ離れた解釈もあります。ですから自分と立場が違うからといって、「それはキリスト教じゃない」とは簡単には言えません(正統と異端の曖昧な境界線はありますが)。言ってしまうなら、自分が同じことを言われても文句は言えません。
自分の信仰を真っ向から否定されたら、誰だってしんどいのです。
「そんな信じ方/考え方じゃ神様に喜ばれませんよ?」
「それじゃ神様を悲しませてしまいますよ?」
「そんなんで祝福が受けられると思いますか?」
「これこれを信じないと天国へ行けませんよ?」
などと断言して、他者を裁定するあなたは、神様なのでしょうか?
あなたが神様なら、聖書の神様もイエス・キリストも聖霊も立場がありません。
たとえば「○○しないと天国へ行けませんよ」というのは、「○○すれば天国へ行けます」と断言することです。それに従って○○する人が全員天国へ行けると、100%保証できるのでしょうか。
実際には死後のことなんて誰にも分からないはずです。相当無責任な発言ではないでしょうか。
「聖書にそう書いてあるから言ったまでだ。自分の責任ではない」という都合のいい反論もあるでしょう。けれど「聖書にそう書いてある」のでなく、「自分がそう解釈している」だけです。自分の解釈を絶対視するのは信仰者として当然かもしれませんが、それが通用するのは自分と同じ信仰コミュニティの中だけです。
信仰は個人の自由です。あなたが何を信じるのもあなたの権利です。けれどその信仰を他者に押し付けたり、あるいは他者の信仰を否定したりする権利はありません。他の人にはあなたと違う信仰を持つ自由があり、あなたが信じるものを信じない自由があるのです。
信仰者はそのあたりのことをしっかり理解する責任があります。