昨年の特別定額給付金(1人10万円)はコロナ禍による困窮や、困窮していなくても通常ならあり得なかった出費や労力をカバーするために給付されたもののはずです(10万では足りない気がしますが……)。けれど、「収入だから10分の1は献金すべき」と考えるクリスチャンの方もいるらしいです。え、「収入」なんですか……?
わたしは疑問に思いました。
同じ話は年金にも言えます。
例えば国民年金は、若い頃から何十年積み立てていて(それ自体は”現在の”高齢者に回されますが)、もちろん国庫からも補われるので純粋に積み立てた分が自分の年金になるわけではありませんが、「年金も収入だから10分の1は献金すべき」と考えるのには違和感があります。純粋な「収入」ではないはずですから。
特別定額給付金も年金も、いわゆる労働収入が絶たれた人たち、何らかの不利益を被った人たち、労働に就けなくなった人たちが受け取るものです。それは「保障」であって、「収入」ではありません。什一(10分の1)献金が成立すると仮定しても、「収入」でないのですから、什一献金の規定には当てはまらないはずです。
また「全収入の10分の1」を細かくキッチリ守るのであれば、そして年金を「収入」と考えるのであれば、年金額のうち、自分が積み立ててきた分は除外しないと正確でありません(計算はものすごく面倒臭そうですが……)。
厳密さを求めるのであれば、そういうことになります。
もちろん「捧げたい」という気持ちは否定しません。けれど特別定額給付金や年金に限った話でなく、「収入の10分の1だから捧げなければならない」というのは強要に当たります。その意味では、什一献金という制度そのものが強要になるのですが。
什一献金をしている皆さんは、これをどう考えるでしょうか。
余談1
ただ実際には、信徒の大半が年金受給中の高齢者で、結果年金から献金が(10分の1でなくても)捧げられ、それによって教会が支えられている、というのが多くの教会の現実だと思います。リッチな高齢者ばかりならともかく、そうでないならマネーフローとしてあまり健全とは言えない気がします。
余談2
什一献金を義務化する教会の問題点は、「捧げないと神様から盗むことになる」という論法で信徒に罪悪感を持たせることです。
また教会のメンバーシップの(事実上の)条件にしていることです。什一献金をしないと、そこに居られません。しかも洗礼後、人間関係が出来上がった状態で什一献金を始めさせる教会もありますが、詐欺的な後出しジャンケンでは? とわたしは思います。