あることで悩むクリスチャンに、Aさんが「そういう時は聖霊に助けを求めればいいんだよ」と即答していた。まるで喉が渇いたら自販機で買えばいいんだよ、とでも言うように。ずいぶん簡単に言ってくれるもんだな……とわたしは思った。
多分Aさんはイージーな人生を送ってきたのだろう。困ったら聖霊に助けを求めて、その都度解決してもらってきたのだろうから。
と、いうようなことをTwitterに書いたら、別の人から「聖霊を冒涜するな」と怒られた。え、聖霊を冒涜したの、わたしなの……?
たしかに聖書は聖霊を「助け手」と紹介している。けれどそれは具体的な、リアルな、即時的で可視的な「助け」を意味するのだろうか。であれば助けられない人が何故こんなにも多い世界なのだろうか。
日本人口1%と言われるクリスチャンの、さらに少ないごく一部の教派の人間しか「助け」ない神様は、どれだけ心が狭いのだろうか。
率直に言って、Aさんの聖霊理解は誤っているとわたしは思う。
それに誰かの悩みごとに対して「そういう時は聖霊に助けを求めればいいんだよ」と答えるのは冷酷なことだ。全然具体的でないばかりか、悩んでいるその気持ちに共感していないのだから。むしろ「そんなことで悩むな」と一刀両断している。
人は共感されてナンボなところがある。たとえ正解であっても即答されるのは気持ちのいいものではない。
聖霊理解の前に、そういう人間理解の方が大切ではないだろうか。