「女性が輝く社会」というスローガンが一時期掲げられましたが、その言葉の空虚さ、曖昧さが非常に気になりました。
「輝く」とは具体的にどういうことなのでしょうか。何らかの基準で数値化できるものなのでしょうか。そのスローガンのモニタリング(評価)はいつ、誰が、どのような基準で行うのでしょうか……。
そういった具体性のない、言葉だけの目標は目標と言えません。
例えばこれが看護計画であれば、「目標が達成できたかできなかったか評価しようがないじゃないか」みたいな指導が入り、書き直しが求められるところです。
そういうスローガンはどんな人たちが、どんなプロセスで作っているのでしょうね。
そういえば一部のキリスト教会でしつこく語られる「勝利」とか「希望」とかの言葉も、空虚さ、曖昧さという意味では全然負けていません。
そういう教会は礼拝ごとに「主の勝利」を声高に叫びますが、その勢いと雰囲気に圧されて、みんななんとなく「勝利した」「問題が解決された」気にさせられています。しかし実は何も解決していないことに、ある時気付かされるのです。
けれど「主の勝利」が連呼される中では、そんなネガティブなことは言えません。
「霊的な勝利が先だ」「物理的な勝利は後からついて来る」という難解な説明をされ、メンバーたちはそれを信じるしかなく、いつ実現するとも知れない「勝利」を待ち続けることになります。しかしそれは馬の鼻面にぶら下げられたニンジンと同じで、いつまで経っても到達できないのです。それは「信仰」というより、「詐欺」ではないでしょうか。
我々には輝く未来が! 主の栄光輝く未来が待っています! とボロボロ状態の信徒たちに語る姿は、まさに女性を虐げておきながら「女性が輝く社会にしましょう!」とスローガンを掲げる姿と同じです。とんだサイコパスだなとわたしは思います。
あなたの教会は空虚なスローガン、具体性のない「ヴィジョン」に、蝕まれていないでしょうか。