キリスト教と反差別

2020年11月10日火曜日

差別問題

t f B! P L

  「リベラル勢は本で勉強しただけで被差別者や弱者のことを分かったつもりになってるだけ」という意見があるけど、その「リベラル勢」の一個人も被差別者や弱者であることを忘れてはいけない。

 また当事者だけが声を上げても、抑圧構造に抗うのは難しい。差別する側の人々も共に声を上げるべき。「分かったつもり」であっても、声を上げるだけマシだ。


 福音書のイエスの言動や行動は、当時のユダヤ社会の差別に反対しているし、そう教えていると思う。彼が積極的に関わったのは被差別者や弱者たちだったし、彼が異を唱えたのは当時の権力者たちに対してだったから。

「キリスト教と反差別は関係ない」という解釈は、聖書をどう読んだら導き出せるのか、わたしには分からない。


 むしろ社会の中の様々な差別を指摘し、声を上げ、自分にできることからそれに関わっていくのがキリスト者の務めなのではないだろうか。反差別の声を否定するあなたの目的は一体何なのですか? と不思議に思う。


 「Aという悲惨な状況がある」と発信すると「Bだって大変だ」とか「Cのことも考えろ」とかヤジが飛んでくることがあるけれど、1人の人間が世界中のあらゆる問題に取り組むのは不可能なのだから、自分はAに、あなたはBに、あなたはCに、と役割分担するだけだと思う。Aという問題意識を持つ人に、わざわざBやCの話を持ち出すのは、ケチを付けたいだけなのでは。


 全てのキリスト者に同じように考えろとは思わないし、社会活動に貢献しろとも言わない。けれど、そういう活動を大切に思って発信している人たちをわざわざ邪魔するあなたの目的は何なのですか? と問いたい。

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