教会で「霊」について教わったことがあるだろうか。
「霊」は人間の根底部分にあり、その人がどんな存在かを決定づける根源的部分だ、とわたしは教わった。神とコンタクトをとる重要な部分でもある、と。
何回聞いても考えてもピンとこない説明だったが、とにかく「霊は人間にとって一番肝心なものだ」と牧師が言いたいのは伝わった。
「礼拝で霊的に養われる」と一部の教会は言う。けれど体や心が疲れていたり、ダメージを受けていたりすると、礼拝そのものが負担になることがある(クタクタに疲れて絶不調な状態で礼拝に出席することを想像すれば分かると思う)。
自分のコンディションが悪いと、「霊的に養われる」という実感が持てないのだ。その意味で、霊的なものは人間の深部に根源的に宿っているのでなく、体や心の健康の「上」に乗っかっているものだと思う。
つまり礼拝で元気が与えられるのでなく、ある程度元気だから礼拝が充実するのだ。
たとえばメチャクチャに歯が痛い時、1時間半の礼拝は拷問みたいになるだろう。調子が良いから、「霊的に満たされた」と思えるのだ。
だからしんどい時は無理に礼拝しなくていいと思う。
もちろん「礼拝に出ることで心の平安を維持できる」という思いは否定しない。ただ「どんなに疲れていても、礼拝に出れば力が与えられるんだから休んではダメだ」という言説は信仰っぽい聞こえるけれど全く根拠がないんだよ、とは言っておきたい。
「霊」はあなたのコンディションの「上」に不安定に乗っかっているものだ。