今回は「伝道」についてちょっと書きます。
福音派系の教会がよくやるのが、英会話教室やギター教室、料理教室などを開いて、集まった地域の人たちにじっくり時間をかけて福音を伝えていく伝道です。英会話やギターや料理などを入り口にして、少しずつ教会を知ってもらおう、福音を知ってもらおう、という「間接的な伝道」ですね。なかなか時間のかかる方法ですが、効果はあるのでしょうか。
たとえばある教会は、英会話教室で毎週何十人もの子供たちを集めています。英会話教室としては、なかなか成功した方でしょう。
でもその子供たちは、ほとんど救われて(入信して)いません。クリスマス会などのイベントには来ても、普段の礼拝には来ませんから。ということは英会話教室としては繁盛していても、教会の伝道としてはイマイチな結果だ、ということになります。もっとも将来的にその子たちが教会に興味を持つ可能性はありますが。
いずれにせよ、即効性のある「伝道」ではありません。
そして私の知っている多くの教会が、伝道に関してはこれと同じような状況です。直接的な伝道を頑張ったり、カルチャー教室などの間接的な伝道をあれこれ工夫したりしますが、目覚ましい成果はありません。教会員数は横ばいか、良くて微増です。どこも伝道に苦労しているようです。皆さんの教会はいかがでしょうか。
一方で、とても大きな教会もあります。
たとえば都内のA教会は、信徒数300人超です。日本では規模の大きい方でしょう。ではA教会はどんな伝道をしているのでしょうか。
でもこの教会の伝道方法も、基本的に他と変わりません。NPO活動やカルチャー教室を入り口とした、間接的伝道が主です。マンパワーが充実しているので活動規模は大きいのですが、かと言って、未信者がどんどん集まって、どんどん救われているわけではありません。
ではなぜ教会が大きいかと言うと、「働き」を求めるクリスチャンたちが集まってくるからです。
「あの教会は、活発に活動している」
「自分が重荷としている(やりたいと思っている)働きをしている教会だ」
みたいな噂を聞きつけて、ノンクリスチャンでなく、クリスチャンが集まってくるのです。
だから伝道効率が低くても、人が増えるという。
日本のキリスト教界には、こういう人口動態があると私は思っています。
活発なところ、大きいところ、評判がいいところにクリスチャンが集まります。人が人を呼ぶと言いますか(あるいは、教会を決めかねている放浪系クリスチャンがこういう教会に集まりやすいのかもしれません)。
だから小さいところはいつまでも変わらないか、あるいは徐々に小さくなっていきます。大きいところはどんどん大きくなっていきます。
でもそれで、大きい教会が「伝道に成功した」と言うことはできません。未信者を沢山獲得しているのでなく、少ない資源(クリスチャン)を集めているだけですから。
クリスチャンの総数は変わらないので、なんとなく椅子取りゲームの逆バージョンみたいな感じ、と言ったらいいでしょうか。
もちろんこれは福音派系(あるいは聖霊派系)の教会の話ですから、別の教団教派はまた事情が違うかもしれません。どうぞ詳しい方がいれば教えて下さいませ。
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※本記事はメルマガ第45号から一部抜粋、編集したものです。
メルマガ第45号テーマ「伝道」
・種蒔き伝道?
・大きな教会は伝道に成功したのか
・どうも上手くいかない個人伝道
・有名司牧の伝道は
・最近の動向
・「太陽と北風」に学んでみては
興味のある方はfuminaru#gmail.comまでご連絡下さい(#を@に変換して下さ
”クリスチャンの総数は変わらないので、なんとなく椅子取りゲームの逆バージョン”の表現が的確ですね。転勤や引越しで教会を変えないといけないクリスチャンの移動で信徒数が減ったり増えたりするのを実際に見てきましたから。新しい地に引っ越せばまずは地域の教会をいくつか回っている信徒を自分の教会で獲得しようとしてラブシャワー。これは“伝道”ではないですよね。どこの教会も欲しいのは献金と奉仕の心を持っているクリスチャンで別に”求道者”でなくても構わないのだと思います。要は教会運営が成り立つための協力者が欲しいだけ。“地域での伝道”は一応は看板に掲げてますが実態は信徒の取り合いをやってるだけ。
返信削除この話で思いだしたことがあります。
返信削除ある教会でクリスチャンはノンクリスチャンと結婚してはいけない、かのような事を言っていて、私は違和感を感じました。
なぜならそれこそ、結婚生活を通して伝道することになるだろうにと思ったからです。
クリスチャン同士で集まりキリスト教的でないものを排除しようとする排他性は、どこか伝道と相容れないところがあるのかもしれないと思いました。