今回はクリスチャン的「お金」の話をします。
教会によっては「お金」の話はタブーと言うか、あまり話題にするのもよろしくない、みたいな雰囲気があるかもしれません。厳しいところになると「主に仕えるか、富に仕えるか」みたいな究極の選択を迫られることもあると聞きます(私の教会もそんな感じでした)。クリスチャンには「清貧」というイメージもありますから、もともと「お金」の話とは縁遠い存在なのかもしれません。
また教会生活をしていれば、どうしても「献金」が付いて回ります。どれくらい献金するかで信仰を量られる教会もあります。什一献金やら礼拝席上献金やら何やら、何重にも払わされる仕組みになっているところもあるでしょう。そして真面目な人ほど、そういうのを律儀に払っていることと思います。
結果どうなるかと言うと、あまり裕福にはなれません。端的に言えば「清貧」になる人がほとんどです。それでもお金が有り余っているとすれば、それはよほど稼ぎがいいか、真面目に献金してないか、うまくやり繰りしているかではないかと思います。
つまり真面目で律儀なクリスチャンほど、手持ちの「お金」が乏しくなっていく、ということです。
「それが何か?」と自信を持って言う方は、それはそれで素晴らしいと思いますね(本当に)。そういう方はその先は読まなくていいと思います(笑)。そうでない方だけどうぞ。
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あるいは(こういうケースは少ないと思いますが)「献金すれば霊的にも物理的にも祝福され、何倍にもなるのだから、できるだけ献金した方がいい」と教えられた人もいるかもしれません。でも「祝福されるから」「何倍にもなるから」という理由で献金するとしたら、それは「献金」でなく「投資」ですね(ちなみに、実際に献金が何倍にもなったという人は見たことがありません)。
逆に信徒から献金を「受け取る側」である牧師家庭も、事情は様々です。
中にはとんでもなく裕福になって、家を新築したり、新車を買ったり、子供に海外留学させたりと、いわゆる「繁栄」を謳歌し放題な家庭もあります。一方でブランドのバッグを持って礼拝に出席しただけで「そんな贅沢して」と信徒から怒られた、なんて牧師夫人もいるそうです。ところ変われば何とやら、ですね。
信徒が少ない教会になると、「会堂の維持が大変だから」等の理由で、信徒が頑張って献金しなければならない状況もあるようです。中には「私が支えないと」と率先して献金する信徒さんもいるとか。
でも私に言わせれば、少数の信徒が一生懸命献金しないと維持できないとしたら、それは教会自体の問題です。会堂を持たないという選択肢だってあるでしょうし、運営方法を根本的に見直すべきでしょう。
さて、クリスチャンは「お金」の話を極力すべきでないのでしょうか。
私は、お金のことはちゃんと考えなければならないと思います。「そんなの当たり前だ」と言われそうですが、どうも当たり前になっていない状況もあるようですから、ここではっきり言っておきます(笑)。
以前、あるNPOの方と雑談しました(その方自身はクリスチャンです)。NPOの運営で何が難しいですか? みたいな質問を私がしたら、その方は即答でこう言いました。「一番もめるのはお金のこと。お金のことは初めにはっきりきっちりしておかないとダメ」
だいぶ実感がこもっていましたから、たぶん嫌な思いをしたのでしょう。詳しく聞きませんでしたが。
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「献金しているのだから、多少貧しくても仕方ありません」
「神様が養って下さると信じてますから、貯金がなくても心配じゃありません」
「老後のお金? 神様が何とかしてくださるでしょう」
みたいに考えていませんか。
私が思うに、教会に通っているクリスチャンが将来(老後などに)経済的に立ち行かなくなってしまったとしたら、全然「証」になりません。クリスチャンになると大変な目に遭うんだ、と周囲にアピールすることになってしまいます。
かと言って、裕福になれ、と言っているのでありませんよ。そこそこでいいから、それなりに満足できる生活を維持するべきではないですか、という話です。
だから献金はほどほどにしておいて、ちゃんと貯金することをお勧めします。人生あっという間です。貯金できる期間も限られています。教会や牧師のことを心配する前に、まず自分のことを心配して下さい。
聖書は「自分自身を愛するように他者を愛しなさい」みたいなことを言っていますね。これは「他者を愛しなさい」の前に「自分自身をちゃんと愛しなさい」という命令でもあります。「お金」の面においてもそうすべきだと、私は思います。
見栄を張って大金を献金した挙句に自分が立ち行かなくなってその献金の返金依頼をした信徒を知っています。その人の家族はクリスチャンではなかったので娘が教会に洗脳されているのではとかなり心配されていた様子でした。返金の件は役員会の議題となり一度献金されたものは返せないという回答で却下され誠実な気持ちに欠ける教会という負の証になりました。”必要なものは全て主が備えてくださる”の聖句は信徒だけでなく教会運営や牧師への謝儀についても適応されるのですから何よりも信徒は身を削ってまで献金する前に祈って主に委ねるという姿勢でいるのが大切だと感じます。
返信削除献金の返金依頼は聞いたことがありませんね。教会が返金に応じるべきか否か、なかなか難しい問題だと思います。ただ信徒に対する暗黙的な強制とか、抗えない同調圧力みたいなものがあっての献金だとしたらたいへん不健全な形だと思います。
削除役員会の議題として取り上げられるというのは、ある意味健全で驚きです。お寺や神社でも可能性のある問題ですね。未成年者のように家計の主な担い手でない人が過大な献金を申し出てきた場合、トラブル防止の為断るのもありだと思いますが。献金によって成り立ってる会計を考えると難しそうですね。
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