奉仕して、祈って、奉仕して

2018年11月30日金曜日

教会生活あれこれ

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 かつての私の教会での出来事を、一つ紹介しましょう。

牧師「神の民はハードワーカーでなければならない(だから死に物狂いで働け)」
信徒「アーメン」
牧師「しかし同時に、神の前に完全に静まる者でなければならない(だからよく祈れ)」
信徒「ア、アーメン」

 ということで信徒は一生懸命奉仕して、同時に時間を作って一生懸命祈って、という教会生活を送ることになります。『食べて、祈って、恋をして』という映画がありますけれど、うちの場合は「奉仕して、祈って、奉仕して」です(笑)(いや、笑えないぞ)。

 でもそんなことが可能でしょうか。起きている時間フルに働いて、かつ神の前に完全に静まって祈る、なんてことが?

 私や他のスタッフたちが実践したところによると、「どうやら不可能」という結果になりました。ある者は祈るたびに居眠りするようになり、ある者は起きていても眠っているような顔をするようになりました。「働け」と「祈れ」を同時にコマンドされて、フリーズ状態になってしまった者もいたかもしれません。何ということでしょう(←ビフォーアフター風に読んで下さい)。

 真面目な話、それは私たちにとって大きなジレンマでした。単純に考えて、「一生懸命働く」と祈れないし、「完全に静まって祈る」と働けないからです。相反した事象です。蛇と蛙とナメクジの「三すくみ」みたいなもので、右にも左にも動けなくなってしまいます。いったいどうしたらいいのでしょう。

 でもそういうことをスタッフ間で話し合うこともできませんでした。話し合えば遅かれ早かれ牧師の耳に入って、「何をこそこそ話してるんだ」みたいに取られて、問題になるからです(つらっ)。

 さて、そうこうしているうちに(奉仕のしすぎで)体調を崩してしまう信徒が現れました。
 こりゃいかん、ということで、牧師の登場です。

牧師「諸君、働くことと祈ることの両立に、悩んでいるのだろう」
信徒「はい。どうしたらいいですか?」
牧師「私はその答えを得ている」
信徒「その答えは?」
牧師「……各自で祈って考えなさい」

 吉本新喜劇ならここで全員ズッコケるところですが、真剣な面持ちの牧師の前でズッコケるわけにも行きません。曖昧な表情で頷くしかできない、哀れな信徒たちがそこにいました。はい、その中に私もいたのですが(笑)(いや、やっぱり笑えないぞ)。

 結局その「答え」を聞く前に、牧師はいなくなってしまいました。
 だからいくつかの謎が、私たちと共に残されました。

 フルで働いて完全に静まって祈る、その方法とは?
 あの牧師は本当にそれを両立していたのか?
 その前に、あの牧師は本当に「答え」を持っていたのか?

 最近電車の中で、小学生くらいの子供たちがこんな会話をしていました。
A「東京タワーより高くて、スカイツリーより低いものって、なあんだ?」
B「えーわかんない」
C「何々答えは?」
A「答え? うーん、わかんない」

 答えのわからんクイズ出すな! とツッコミそうになりましたが、これを聞いた時に、件の牧師の話を思い出したわけです。

牧師「私はその答えを得ている」
信徒「その答えは?」
牧師「……各自で祈って考えなさい」

 本当はお前も知らないんだろう! とタイムスリップしてツッコミたくて仕方ありませんね。皆さんそういう経験ありませんか(ないことを願う)。

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