すみません。今日はちょっと毒を吐かせていただきます。
私は長年カルトっぽい牧師の下で教会生活を送ってきましたので、「牧師」という存在に多少ウンザリしています。もちろんいろんな牧師さんがいるのはわかっているのですが。大半の牧師さんが「良い人」で、問題があるのはごく一部なのでしょう。
でも少なくない「牧師さん」たちに共通する、ある傾向があるように思います。最近特にそう思うようになりました。どんな傾向かと言うと、「結局は自分の正当性を主張したいだけなんじゃないの」というものです。
いろいろ相談に乗ってくれたり、話を聞いてくれたり、助言してくれたりする牧師さんを複数見てきましたが、最終的に意見が合わなかったり、方針(?)が合わなかったりすると、「んじゃねー」と去って行くのです。そして聞こえるような聞こえないような微妙なところまで退却してから、「自分は◯◯だと思うんです」みたいな主張を、いかにも自分は正しいんですみたいな顔で吐き捨てていくわけです。
もちろんこっちは教会員ではありませんから、その牧師さんたちには何の責任もありません。言いたいことを言って何が悪い、といったところでしょう。
だったら私も言わせてもらいますが、そもそも私から彼らに相談したことはありません。彼らが言ってきたので、私も思うところを返しただけです。彼らが私に何も言わなければ、私も彼らに何も言いません。それだけです。
彼らの多くは私に同情してくれます。「酷い牧師に辛い目に遭わされたのですね」みたいに。でも結局は私の話なんて聞く気はなさそうです。私が彼らの意に反することを言えば、簡単に「んじゃねー」ですから。
だったら初めから黙っててほしいんですよね。べつに彼らを悪人だとは思わないのですが。
もちろん、人それぞれいろんな考え方があるのはわかります。いろんな立場、価値観があるでしょう。でも「キリスト教の牧師」って、人に対してどういう立ち位置を取るべきなのですか。聖書は何と言っていますか。人の話を聞いて支えるべきですか。それとも自分の意見を押し付けるべきですか。
すみません、ちょっと悶々とすることがありましたので、吐かせていただきましたー。
牧師、教師、**師とつく仕事をしていると、だんだんと相手の話を聞くより、自分の考えを相手に、説得し納得させようとするようになるんですよ。
返信削除それが習い性になっているんです。その仕事を辞めても、そういう習い性は改められませんね。
自分の考えと相手の考えと、同じところを探して共感するのではなくて、違うところを探して、自分の考えを押しつけようとするものなんですよ。
あなたの考えと、私の考えは少し違いますね、と言った場合、よく似ていますねと言う意味ではなくて、全然違うのだけど、ぜんぜんと言っては角が立つので、少しと言っているだけなのです。
仕事が人格を作るって感じなんですね。わからないではありませんが、牧師に対する失望度は増すばかり。
削除結局の所大まかに言いますと、クリスチャンになると自分は真理に立っているのだから、と言う立場で物を言い、他者に対して教えようとする考えが根付く人が多いです。
返信削除牧師はその最たる者かも。
私の出会った日本キリスト教団や日本聖公会の牧師・司祭には、わりと人間味のある人がいました。
一方福音派系統の牧師は、ガチガチの石頭の人が多い印象です。
赦された罪人だと自負しながら、人に教え諭そうとする。それに加えて、自分が最高と思った解釈や教義を、いかにも聖書がそう言っているかの様に断片を拾い集めてこじつける。
自分だけそう思って喜んでいれば良いのに。違う考えを絶対に受け付けない。
人間味がないと言うか、うわべだけと言うか、いやそれ以上の「偏屈」の集まりですよ。
呆れて、どうぞご勝手にと思いますね。