このブログを書きはじめた頃、もう5年半くらい前ですが、よくこんなご意見をいただきました。
「それは極端なケースですね」
キリスト教プロテスタントの、ペンテコステ派の、それもカルト化したごく一部の教会にしか見られないケースだ、というわけです。
それ自体は事実ですから、「稀なケースだ」というのは間違いないかもしれません。でも私のような当事者に言わせれば、「極端だったら何ですか?」です。極端なケースの被害と、そうでない被害とで、何か違いがあるのですか。もちろん細かい内容は違うでしょう。でも、傷んで苦労したのは同じです。だから極端かどうかなんて、関係ないと私は思ったわけです。
最近、人権意識が高まっているせいかどうかわかりませんが、メディアやネットの発言が炎上しやすくなっています。先日もドルチェ&ガッバーナが中国で総スカンを食らったばかりですが、あれについて著名人が「極端なケースだよ」なんて言ったらどうなるでしょう。やはり批判されるのではないでしょうか。
そもそもの話、極端かどうかとういのは、論点としてズレているわけです。
「極端だ」と言われてもう一つ気に入らなかったのは、「極端な(稀な)ケースだから、被害に遭うのはごく一部の人たちに過ぎない」というふうに聞こえる点です。被害者が少なかったら、何ですか? 無視してもいいんですか? なんて当時の私は攻撃的に考えたものです。
冷静に考えてみますと、これは「教会被害差別」みたいなニュアンスもあると思います。一般的な教会で受けた被害と、一部のカルト化した教会で受けた被害との差別ですね。
たとえば日本基督教団とかルーテル派とか長老派の人たちは「ああ、そういうイジメって、教会にもあるよね。酷いよね」と教派を越えた共通理解を示すことがあると思います。でも同じ人たちが、ペンテコステ派の一部の変な教会の話を聞くと、「ふーん、そういう変な(極端な)ケースもあるんだね。でもそれって本当にキリスト教?」みたいな冷淡な反応を示すことがあります(もちろん全員ではありません)。
でもそれは、自分の立場から見える「キリスト教」しか知らなくて、結果的に異質なものをキリスト教として認めない、という差別と同じです。べつに認めなくてもいいんです。でもこれだけは知っておいてもらいたい、という事実があります。すなわち教派がどうであれ、キリスト教会という組織の中で、聖書という教典を使った、信徒虐待が行われている、という事実です。
そしてその内容が極端であろうがなかろうが、被害者が少数であろうがなかろうが、被害に遭った人たちにとっては、それが「キリスト教」なのです。
もう一つ付け加えておきますと、キリスト教カルトが「極端」で「少数」だ、というのも私はいまいち同意できません。以前ペンテコステ親交会の教役者大会というのに参加したことがありますが、まあ大勢いましたよ。何百人も入る大きな会場が、超満員でしたからね。
しかも彼らは全国の教会の教役者やリーダーたちですから、その背後に、もっと大勢(の教会員)がいるわけです。本当に、極端な少数派なのでしょうか。
一口に「キリスト教」と言っても、実に様々な切り口があります。
当ブログで取り上げる様々な事例について、「それは極端なケースだ」「ごく一部のおかしな教会の話だ」と思われるかもしれません。でもあなたが知らないだけで、そこには大きな世界が広がっているかもしれませんよ。まさに「あなたの知らない世界」 笑(意味がわからない方はスルーして下さいませ)
最後に、念のため書いておきますが、私はべつに日本基督教団にもルーテル派にも長老派にも何の恨みもありませんからね 笑
細かなことなら、どの教会にも多かれ少なかれありますね。先週と今週のミサの後、会長が電気をつけっぱなしにして帰る人がおり、神父から注意された、夜遅く出てきて電気を消した、みんな注意をしてくれとながながと注意を行った、私は思わず、一般使途に注意しても解決しないでしょう、使用する責任者に注意をするように言ったところ、俺の話を聞きたくないのなら、出て行ってくれと言った。それで、出て行こうとすると、神父さんが出てきて、議論する場ではないのでやめるようにと言って、その場を納めた。
返信削除会長さんを皆さん尊敬しましょう、と神父さんが言うと、拍手が起きた。
あの拍手は何なんだろうと考えて、諸連絡が終了度、会堂を出ると、神父さんがいて、お孫さんは元気ですかと尋ねてきたので、はい元気でやっていますと答えたが、神父さんもそれなりに気を遣われたのでしょうかねえ。
人間社会ですから、いろいろあって当然でしょう。
kametaniさんはなかなか反骨精神旺盛な方だとお見受けします。私はいろいろ考えて発言を控えてしまう方なので、尊敬します。
削除「それは極端なケースですね」・・・この言葉から fuminaruさんのブログについて批判している人を連想しました。
返信削除その人は、「このブログは後味悪い。なぜなら世の価値観との混ぜ物をいつもしているからで、教会の事を語るならそれに専念すべきだし、世の事であれば世の事で語ればよい・・・」と書いていました。
見事に本質からずれているこの批判こそが問題の本質であり、この人はfuminaruさんのブログの意図を全く理解していない事が分かります。教会と世俗、或いはクリスチャンとノンクリスチャン、両者の価値観を単純に対立化し一刀両断するだけで、実際の社会の中で価値観の狭間で日々葛藤する人たちに対して共に考えようとも寄り添おうともしない。教会とはこうあるべきだ、クリスチャンとはこうあるべきだ、という建前でしか語れない人たち。
カルト化した教会の実体やそこで傷ついた人たちが現実に存在するのに、自分たちには関係ないとしか思わない。こういう人たちは 「それは極端なケースですね」で終わってしまいそうですね 。人間として大切なものを忘れている気がします。
そういうご批判があるとは知りませんでした。ありがとうございます。
削除教会の現場で、信徒のいろいろな問題に直面して日々葛藤しているはずの牧師が(あるいはクリスチャンが)、まったく想像力を持っていない、他者を思いやる心を持っていない、という事実には驚愕するばかりです。もちろんそうでない牧師もクリスチャンも、大勢いるのですが。前者の彼らは「キリストの教え」をどう解釈しているのだろうと、不思議でなりませんね。
ありがとうございます。これが引用したサイトです↓
削除https://www.logos-ministries.org/blog/?p=8414