11月も半ば過ぎました。たぶん多くの教会が、クリスマスの準備で忙しくなっているのではないでしょうか。
以前体験談として紹介させていただいた記事では、クリスマスにミュージカルを披露するために、8月くらいから準備を始めるという教会が登場しました。夏のうちから冬のことを考えて準備をするなんて大変だなあ、と私などは思うのですが、当人たちは大真面目なのでしょうね。出演者のオーディションまでやるみたいですから、ものすごい情熱です(その出来映えとか、どれだけ未信者が来るのかとか、そのへんはよくわかりません)。
ミュージカルと聞いて一つ思い出すのが、あるキリスト教系幼稚園のクリスマス会です。子供たちの聖劇とか、合唱とかでホノボノする感じのイベントです。でもある年、ミュージカル経験のあるお母さんが、ものすごく本格的な衣装を着て登壇しました。そしてピアノの伴奏に合わせて、ものすごいソプラノボイスを披露するわけです。もう子供たちの劇とか歌とか、全部すっ飛んでしまいましたね。幼稚園のクリスマスと言うより、そのお母さんのリサイタルみたいになってしまいました。
8月から準備するミュージカルも、ソプラノボイスのお母さんも結構なのですが、私たちが案外見落としてしまいやすいのが、「何のためにやるのか」という視点です。そのイベントは、何のためにやるのか。誰のためにやるのか。目的は何なのか。どこかに無理が掛かっていないか。
私の教会もクリスマスには力を入れていました。コンサートを開いたり、キャロリングで街を練り歩いたり。スタッフは毎日遅くまで残って、準備しました。でもそうやって皆で苦労した結果、未信者がどれくらい来たか? 全然来ません。じゃあ何のためにやったの? 信徒がクリスマスを楽しむため? その信徒たちが連日遅くまで残って、大変な思いをしてたのですが。クリスマスが終わる頃には、皆ヘトヘトでしたよ。
何と言うか、目的不在じゃないでしょうか。未信者のためでもない、信徒のためでもない。ただ「クリスマスだから何かやる」みたいな感覚。
ある教会は、信徒の子供たちにノルマを課していました。クリスマスのイベントに友達を何人連れてきなさい、みたいなノルマです。子供たちはポイントカードみたいなものを渡されて、「友達1人につきシール1枚貼ってあげる」と言われます。学校で同級生たちに声を掛けまくることになるわけです。
その結果どうなるでしょう。誘われた子たちの何人かは教会に来ますが、定着することはほとんどありません。そして誘った方の子供たちは、学校で「宗教やってる変な奴」というレッテルを貼られてしまいます。下手すると、まともな学校生活を送れなくなってしまいます。
それはいったい誰のための、何のためのクリスマスだったのでしょうか。私にはよくわかりません。
もちろんやる気のある人たちが集まって、練習したり準備したりするのはいいと思います。「クリスマスくらい教会に行ってみたい」という未信者の人もいるでしょう。「心のこもったクリスマス・コンサートがしたい」という教会の純粋な思いまで、否定する気はありません。
ただ信徒を必要以上に駆り立てて、忙しくさせて、大変な思いをさせて、その結果何だったかわからない、みたいなクリスマスはご遠慮願いたいわけです。そういうのを何年も何十年も繰り返しているのに、誰も声を上げない、文句が言えない、みたいな状況が一部の教会にあります。だからここで、私が声を上げることにした次第です。
教会に属しておられるクリスチャンの皆さん、どうぞ平和で楽しいクリスマスをお過ごし下さい。
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