「だって礼拝つまんないんだもん」と少年は言った

2018年10月17日水曜日

教会生活あれこれ

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 どういうキッカケだったか忘れましたが、当時十代の少年だったAくんが、教会に来るようになりました。あれこれ事情があって、私はAくんによく関わりました。だから結果的にAくんが求道者、私が導き手、みたいな立ち位置になりました。私自身はそこまで堅苦しく考えていませんでしたが(Aくんがどう考えていたかはわかりません)。

 Aくんは最初のうちは教会を楽しんでいたようですが、次第に、礼拝に来なくなりました。そしてそのうち、礼拝後のランチ中とか、何の集会もない平日の夜とか、そういうタイミングで顔を出すようになりました。もちろん狙ってのことだと思いますが。

 当時、私は今以上に頭の固い人間でしたから、「ちゃんと礼拝に来た方がいいよ」とあるときAくんに言いました。でも彼はとっても正直な子でしたから、悪びれることなく、こう返すのでした。
だって礼拝つまんないんだもん

 ちょっと反論したい気にもなりましたが、一方で「そうかもしれない」と思う自分もいました。私自身は賛美が大好きでしたから礼拝を楽しんでいましたが、Aくんの立場に立ってみれば、楽しい要素などなかったでしょう。特にメッセージは難解で、長くて(1時間くらい!)、でもずっと座っていなければなりませんから、苦痛でしかなかったはずです。

 だからAくんの「つまんないんだもん」を聞いて以来、私はあえて礼拝に誘うことはしませんでした。そんな苦痛を十代の少年に強いることはできなかったからです。また「そのうち楽しくなるから来て」などと言う自信も私にはありませんでした。

 それからAくんは家庭やら学校やらの事情がいろいろ複雑になって、教会に来なくなりました。かろうじて私とは時々会ってくれましたが、それでも次第に疎遠になって行きました。そして会わなくなりました。
 数年後、Aくんと偶然再会できましたが、彼はずいぶん変わっていました。当然ながら教会の話は出ませんでした。

 結局のところ、「キリスト教」も「教会」も、彼の人生に何かを及ぼすことはできなかったのでした。

☆ ☆ ☆

 それはAくんが悪いのでしょうか。
 彼が教会に対して(あるいは神に対して)心を開かず、「つまんない」などと思ったのがいけなかったのでしょうか。
 そんなことはないと私は思います。むしろ教会が(もっと言うと、神様が)Aくんにとって魅力的でなかったのです。あるいは私の力量不足だったのです。Aくんが「また来たい」と思える場所ではなかったのです。はっきり言いますが、それが事実です。

 かと言って、私は教会を非難したいわけではありません。教会にも様々な事情がありますし、全てのタイプの人をフォローできるわけではありませんから。

 ただそうは言っても、教会はどれだけ、新来者(いわゆる求道者や、それ未満の人たち)の「視線」を意識しているでしょうか。どれだけ自分たちが見られ、評価され、判定されているか、ご存知でしょうか。

 教会の中の人たちからすれば教会は「神の宮」であり、「聖所」であるでしょう。そこに幾分かの自負もあるかもしれません。でも新来者からすれば教会は「目新しい見世物」に過ぎません。楽しそうか、面白そうか、興味を満たしてくれそうか、というような視点でしか見られません。そして短時間で、極めてシビアにジャッジされます。

 でもそれは当然です。
 たとえばあなたが旅行をしたとします。「あーいい所だな。また来たいな」と思うこともあれば、「もう十分だ。ここはもう来なくていいかな」と思うこともあるでしょう。あるいは「全然期待外れだった」と思うこともあるかもしれません。
 基本的に、教会もそれと同じです。

 それなのに、教会が内輪で盛り上がったり、部外者にわからない何かで喜んだりしていたら、新来者はしらけるだけです。当然「つまんない」でしょうし、「また来たい」とは思いません。

 たとえばですが、伝道集会を開くとします。
 冒頭、リーダーが「さあ主を賛美しましょう!」とか元気に言って、みんなワーッと盛り上がって、初っ端からテンションマックスで賛美したら、新来者は完全に「置いてけぼり」です。「主って何」「賛美って何」「なんでこんなテンション高いの」みたいな疑問が当然浮かんで、戸惑うと思うのですが。

 教会の中の人たちにとってそういうものに価値があるのは、否定しません。でも新来者はそうは見ません。なのに「説明しなくても礼拝の素晴らしさは伝わるはずだ」なんて都合よく考えていませんか。1ミリも伝わっていないと思いますよ。

 繰り返しますが、教会があれもこれもするのは不可能です。人手も足りないでしょう。でも人手はさておき、そういう「新来者の視線」をちゃんと意識しないことには、何をやっても何もならないと私は思います。

 教会は第二、第三のAくんを生み出していないでしょうか。

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