私の牧師はよく怒る人でしたね。
礼拝の前とか、何かのイベントの前とかは特にピリピリしていました。何かうまく行かないことがあると、瞬間湯沸かし器みたいに怒鳴ったり、舌打ちしたりです。私たち信徒はそういうのが嫌で嫌で、集会の前になるとよく牧師を避けたものです。もちろん避けられない立場の人もいましたが(たとえば私のことですね笑)。
まあとにかくいろいろなことで怒られました。なんであんなに怒られることがあったのでしょう。今思うと不思議なのですが、とにかく、皆しょっちゅう怒られていました。
たとえばなんですが、賛美の練習をするじゃないですか。歌う人や、楽器を演奏する人、映像や音響や照明を扱う人など、いろいろな奉仕者が集まります。で、本番の礼拝さながらの練習をします。うちはそういうリハーサルに、1時間も2時間もかける教会でした。
で、リハーサルが始まります。すぐに牧師の注意? 指導? が入ります。歌声が小さい、リズムの取り方が鈍臭い、楽器の音がどうのこうの、曲と曲の合間が長い/短い、パワポのページ切り替えが遅い、誤字がある、照明の色のセンスが悪い、音響のバランスがどうのこうのと、まあありとあらゆる点で叱られます。単に注意されるんじゃありませんよ。怒鳴られたり、舌打ちされたり、溜息をつかれたりします。誰もいい気分じゃありません。
下手すると会堂内が暑いとか寒いとかで叱られます。だったら空調の温度を自分で変えればいいでしょう? と思うかもしれませんが、牧師に言わせれば、そういうのは「信徒の方で察するべき事柄」だそうです。信徒を何だと思ってるんでしょうね。召使いでしょうか。奴隷でしょうか。まあそんなところだったと思います。
多くのクリスチャンの方は想像できないかもしれませんが、私の教会生活とは、あるいはクリスチャン生活とは、そういうものでした。
なぜ牧師はそんなに怒るのか? 牧師自身の説明によると、それは「訓練のため」でした。
私たち信徒を成長させるためには、厳しく指導しなければならない。時には怒鳴って叱りつけなければならない。そうしないと私たち信徒は理解しないし、改善しない。だから牧師は涙をのんで、時に心を鬼にして、「仕方なく」私たちを厳しく扱っているのだ。本当はこんなことしたくないんだ・・・。
と、まあそんな説明でした。本当かどうか知りませんけれど。また、「仕方なく怒っている」ようには見えませんでしたが。
あくまでその牧師の言い分ですが、人間には「褒められて伸びる部分」と、「叱られて伸びる部分」とがあるそうです。だから褒めるだけじゃ人は成長しない、叱ってあげないとダメだ、というわけですね。それだって叱るための口実にしか聞こえませんけれど。
皆さんの教会は、というか牧師はいかがでしょうか。よく怒る人ですか。怒らない人ですか。不機嫌な人ですか。褒めてくれる人ですか。
「牧師先生も人間だから」という理由で、牧師のあれもこれも「許してあげなさい」と言う人がいます。あなただって欠陥があるでしょう? なぜ牧師だけを責めるのですか? というわけです。
でも、何にしても限度があると思いますね。許せることと、許せないこととがあります。「クリスチャンなら何でも許すべきだ」と言う人がいますけれど、そういう人は「許し」について勉強し直して下さい。それまでは何も発言しなくていいです。
自分のこととして考えてみればわかると思いますが、厳しく怒鳴られることで成長するなんて、まずありません。怒鳴られたら怯えて萎縮するか、こっちも怒るかです。そして二度と怒鳴られないようにしようとあれこれ考えるだけです。でもそれって、「成長」じゃありません。
あるいは私がこういうことを書くと、ある人々はこんなふうに言うでしょう。
「彼は牧師にパワハラされたのを根に持って、過剰に反応してるんだ。だから客観性を欠いている。彼が言っていることは、だいたいが言い過ぎなんだ。牧師の立場というものがわかってないよ」
なかなか面白い意見ですね。私が普通の頭じゃなくなってる、だから話を聞かなくていい、というわけですよ。
じゃあ逆に聞きますけど、いったい誰がその被害を訴えればいいんんでしょう。誰が「客観的に」それを見たのでしょう。それが「過剰な反応」かどうか、誰にわかるのでしょう。自分たちで言わなければ、いったい誰が代弁してくれるのでしょう。
それに私の頭がおかしくなっているとしたら、「それだけの被害を受けた」という証拠ですよね。違いますか。私が一人で勝手に狂ったのですか。
そういうことを言ってくるのは、だいたい同類の牧師たちです。信徒を奴隷のように使い、権力を振るう輩です。
彼らは信徒が声を上げるのを許しません。反抗するのを許しません。自分の座を守るためなら、誰かを脅すのも、嘘をつくのも厭いません。
「そんな人はキリスト教の牧師とは言えません」と良識ある人々は言うでしょう。その通りだと思いますね。牧師とは言えません。
今時、そういう牧師さんのいる教会には信徒はやってこないでしょう。SNSの時代ですから、評判はすぐに拡散するでしょう。信徒といっても、自分よりよほど年下で、いうことを聞きそうな信徒に対して偉そうにしかることができるでしょうが。
返信削除もっともそういう状態に持っていくまでの牧師の緻密な戦略がありますから、なかなかSNSで広まらない現状もあると思いますね。つまり信徒たちが「怒られるのは自分が悪いからだ」と思い込んでしまい、牧師の方がおかしいとは思えないようになっている、という現状です。私だってなかなか気づけませんでしたから。
削除毎回キマジメシリーズ見てますが・・・こんなこと
返信削除私なら本気で怒りますよ
今現在そんなことをしている団体があるなら
れっきとした犯罪です
現行の法律はそうした犯罪を裁くことができません
ストーカーや児童虐待と同じで
警察が動いた時にはすでに手遅れ・・・
情けない限りです
そんな神なら、いないほうがいい
いつも読んで下さりありがとうございます。
削除牧師は「弟子訓練」という名目で怒りますから、信徒の側はそれが不当な扱いだとなかなか気づけないようになっていると思います。そのへんがこの手の牧師のうまいところだと思いますね。
もちろんそんな牧師はいらないのですが。
これとそっくりなことが起こっていたのが
返信削除日大のアメフト部やチア部です。
勝利至上主義の文化のなかで
監督やコーチの権能は無制限なものと許可され、
彼らの振る舞いはすべて正当化される。
教会だと
「リバイバル至上主義」や
「救霊至上主義」や
「弟子訓練至上主義」の大義のもとに
牧師がすることはすべて正義とされることが多いでしょうか。
おっしゃる通りですね。あの日大アメフト部の顛末は、まさにこの手の教会と同じ構造だと思いました。完全なトップダウン体制で、誰一人文句が言えない、逆らえない状況です。牧師のやることはなんでも正しいとされ、無批判に受け入れられてしまいますから、ますますエスカレートしていきます。ああいう事件にでもならない限り、それを止める手段はないように思えます。闇が深いですね...。
削除はじめまして。共感できる部分があり、ときどきのぞかせていただいています。
返信削除クリスチャンです。転居などの事情で複数の教会に所属したことがあります。ペンテコステ派はないですが、広い意味での福音派や、改革・長老派の教会にいたこともありますが、書かれているような牧師にあったことはないです。
私が接したことのある牧師は、世間一般の人との比較においても
むしろ怒る頻度はすくなかったです(というかほとんど怒っているところなんてみたことない)。
一般的な意味においても人間的によくできた人ばかりでしたので、そういう牧師がいるのかと正直驚いています。
読んでいただき、またコメント下さりありがとうございます。
削除匿名様はおそらく教会の選び方が上手なのではないかと思います。このように怒る牧師に遭遇したことがないのは幸いです。
しかしペンテコステ派の単立教会に行きますと、かなりの確率で当記事のような牧師に遭遇すると思います。それでもここまで悪質な牧師は少ないかもしれませんが。どうぞお気をつけ下さい。