筆者:はい皆さんこんにちは。
いきなりですが、今日はインタビュー形式でお送りしたいと思います。記念すべき(?)最初のインタビュー相手はこの人です。「教会警察」さんです(拍手)。教会警察さん、今日はよろしくお願いします。
教会警察:こちらこそよろしくお願いします。
筆者:今日は教会警察さんの、普段のお仕事内容について、いろいろお聞きしたいと思います。題して「ザ・教会警察24時」です。ではさっそくですが、教会警察さんのお仕事についてお聞きします。具体的にどのようなことをされているのですか?
教会警察:そうですね。主に日曜礼拝中、失礼な信徒がいないかどうか、チェックしています。
筆者:失礼、というと?
教会警察:はい。たとえば牧師先生のメッセージ中、腕を組んだり足を組んでいるしている無礼な信徒を見つけて、取り締まります。
筆者:取り締まるというと、その場で何かするんですか?
教会警察:いえ、メモっておいて、あとで個別に注意するんです。
筆者:なるほど。腕を組んだり足を組んだりするのは失礼だ、ということなんですね。
教会警察:その通りです。だってそうでしょう? 牧師先生が、命がけで神の御言葉を取り次いで下さっているその時に、一介の信徒が腕や足を組んでいいわけがないでしょう? 神に対しても、牧師先生に対しても、明らかな冒涜です。到底見逃せません。だから自分のような教会警察が必要なのです。
筆者:あーそういうことですか。わかりました。ちなみに、他にはどのようなことを「取り締まる」のですか?
教会警察:そうですね。いろいろありますが・・・、たとえば礼拝に遅刻するのも大変失礼な行為ですね。礼拝後に個別に注意しますが、繰り返す人は繰り返します。本当に手を焼きますね、そういう遅刻魔には。おっと失礼、遅刻常習犯には。思わず「魔」という言葉を使ってしまいました。(小声で)イエスの御名によって、悪霊よ退けっ!
筆者:あ、大丈夫ですか? ・・・まあ、遅刻することもありますよね。ちなみに、遅刻すると、具体的に何が問題なのでしょう?
教会警察:そりゃあなた。聖なる礼拝ですよ。信徒の毎週の義務です。その礼拝に遅れて来るとは、いったいどういう了見ですか。私たちが神様をお待ちするべきなのに、私たちが神様をお待たせしてしまったら、冒涜もいいところです。到底許せません。
筆者:ほうほう・・・。
教会警察:あと、話が戻りますけれど、
筆者:はい、何でしょう?
教会警察:メッセージ中の居眠りもダメですね。
筆者:あー居眠りですか。話が長いとついつい・・・
教会警察:本当に言語道断です。牧師先生が命がけで神の御言葉を取り次いで下さっている時に、居眠りとは! まったく話になりません。礼拝後に厳しく指導しなければなりません。
筆者:そ、それは大変なことで・・・。
教会警察:あとアレです。女性のミニスカート! まったく最近の方はどういう神経をなさっているのか。あんなフシダラな格好で礼拝を捧げようなんて、恥ずかしく仕方ありません。そういえば最近もね、チャラチャラした女性がミニスカートで来ていたんですよ。もう、となりに無言で座って、裾をちょいとつまんであげましたよ。何ですかこれは! という思いを込めてね!
筆者:ほうほう・・・、ミニスカート。でも聖書にそういう服装のルールはないように思いましたが?(筆者、スマホで聖書アプリを起動)
教会警察:あなた、まさか礼拝中にそれ(スマホのこと)を見ているんじゃないでしょうね?
筆者:それ? 聖書アプリのことですか?
教会警察:そうです。まったく最近の人たちは・・・。アプリだか何だか知りませんが、聖書は紙で読むものです。紙で読んでこそ神の言葉なのです。だいいち、それのバッテリーが切れたらどうするのですか?
筆者:切れることはまずないですけど・・・。
教会警察:切れたらどうするのですか?
筆者:まあその時はその時で。ハハハ。
教会警察:そういう時こそ紙の聖書なのですよ。バッテリーなどありませんからね。その場ですぐ開けますし。手に馴染んだ紙の聖書こそ、礼拝にふさわしいと言えます。
筆者:(なんかこっちが取り締まられているみたいだな。)
教会警察:何かおっしゃいましたか?
筆者:いえ何にも。では、1回の礼拝で、どれくらいの件数「取り締まり」されるのですか?
教会警察:そうですね。2、3件といったところでしょうか。
筆者:何か傾向はありますか? その、たとえば、「取り締まる」のは子供が多いとか、男性が多いとか?
教会警察:ああ、皆さん女性です。
筆者:全員女性?
教会警察:はい。
筆者:その教会は、信徒が皆さん女性なのですか?
教会警察:いえいえ、もちろん男性もいらっしゃいますよ。ただ、取り締まるのは皆女性だということです。
筆者:ということは、その、「失礼」をするのは皆女性だと?
教会警察:そうなりますね。
筆者:じゃあたとえば、成人男性は足を組んだり、メッセージ中に居眠りしたり、遅刻してきたり、聖書アプリを使ったり、ということはないのですか?
教会警察:ないのではないでしょうか。
筆者:ほほう・・・。ともあれ、今日はインタビューにお答えいただいてありがとうございました。これからも教会警察として、(なんか言いたくないけど)どうぞ頑張って下さい。
教会警察:こちらこそありがとうございました。感謝です。栄光在主。
実に面白いですね。20数年前にブルネイ王国に行きました。その国で官公庁の最大の建物が宗教省でした。主な仕事は、国民の生活指導、宗教警察ですね。イスラム教に違反している国民がいると捕まえるのですね。
返信削除**教会が国教化されれば、教会警察はありですね。牧師が命懸けで説教すれが寝るような信徒はいないでしょう。寝るような信徒がいれば、罰せられるのは牧師ということになるでしょう。命懸けで神の言葉を伝えないような牧師は首だということですね。
なるほど、国教化されれば宗教警察というのもリアルな話になるのですね。たぶんキリスト教が日本の国教になることはないと思いますが(笑)。
削除ちなみにメッセージ中に信徒が寝るのは、寝る信徒が悪いのか、寝させる牧師が悪いのか、というのは面白い視点ですね。
読ませていただきました。
返信削除教会のそのような状況のとき、行き過ぎた警察官を取り締まる警察官が現れ、それを、あの人警察官してるいる非難する警察官がまた現れ、エンドレスにつながっていきますよね。
神様に礼拝しに来たのに、目的が変わってしまっている、教会あるあるです。
日本人は人との繋がりを目的化しやすいのかなと思います。人との繋がり、距離感を正しく取ることに神経を注いでいます。学校でも職場でも。私もそうでした。クリスチャンは、もっと自分と対話する時間が大切なのではと思います。自分と向き合うことは誰しも難しいし、辛い作業ですが、それに力を注いでいたら人を非難する暇も、監視する暇もないし、そもそも自分が見えたら簡単には人を貶すことはできなくなります。ああ、私の姿そのものだ…と。
人との繋がりは、大切だし、人とつながらなくては伝道できないのですが、イエス様はいつもお弟子さんと共に行動しているけれども、ここぞ!では、1人独りなのですよね。独りで神様の前に立つ、ということがないと、私は今までの生活を変わる気がなく、日本の常識を優先させたまま、聖書の神様をそこに取ってつけると、伝道のためと称して周りの人に聖書の倫理はこうだ!と押し付けてややこしいことになるのだな、と思います。
人の繋がりは大切だけれども、神様と向き合うためには、大事な時に独りになる決断をして、寂しいけれども、1人の人として立てた時に神様が共にいてくださることに、本当に喜べるのだと思っています。
日本の教会が、聖書の神様を社会倫理としてではなく、聖書は私のための辛辣な批判書であり、なおかつ恵の書物だと受け止めてられる日が来ますようにと、願っています。
伝道とは、人との繋がりをどううまく演出できるかどうかより、一人一人が神様と向かい合い、その群れを形成する時に自然と生まれる繋がりが大切なのだろうと思いました。
考える機会を与えてくださりありがとうございます。日本の教会、世界の教会もかもしれませんが、常に変化して行かなくてはですね!
1パーセント足らずのクリスチャンが手を取り合っていかれたらよいのに!と願っています。
日本の教会に祝福がありますように!
読んでいただいてありがとうございます。
削除おっしゃる通り、他人がどうかでなく、自分がどうするかに注目すべきでしょうね。
他人のことを気にする人が本当に多いと思います。それが日本人の傾向なのかもしれませんが、本当にくだらないと私は思いますね。
お前取り締まるのに必死で礼拝中に牧師の話聞いてないやんけ!!✋
返信削除って突っ込みたくなるアレですね(笑)
自分自身のことは許されるのでしょうね。
削除こういう人のお近づきにはなりたくないです。本当に(笑)。